セルジオ・コラッツィーニ

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セルジオ・コラッツィーニ
(Sergio Corazzini)
誕生 Sergio Corazzini
(1886-02-06) 1886年2月6日
イタリア王国の旗 イタリア王国ローマ
死没 (1907-06-21) 1907年6月21日(21歳没)
イタリア王国の旗 イタリア王国ローマ
墓地 カンポ・ヴェラーノ墓地英語版
職業 詩人
言語 イタリア語
活動期間 1904年 - 1907年
ジャンル 叙情詩ソネット
文学活動 クレプスコラーリ英語版[1](日本語では「黄昏派」と訳される)
代表作 『叙情詩集(Liriche)』(1909年に死後出版)
デビュー作Dolcezze』(1904年)
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セルジオ・コラッツィーニイタリア語:Sergio Corazzini1886年2月6日 - 1907年6月21日)は、イタリア王国ローマ出身の詩人。病気で弱った体に絶望し、1907年肺結核によって21歳で夭折するまでの人生を悲哀で満ちた詩で綴り、自らを「泣きじゃくる少年詩人[2][3]や「全ての人間に見捨てられた子供[4]と自称した。

1904年から1907年までという短い期間に、同国の詩人グイド・ゴッツァーノ英語版コラード・ゴヴォーニ英語版と共に「クレプスコラーリ英語版[1]日本語では「黄昏派」と訳される)と呼ばれる集まりの代表格に数えられ、1909年の死後に友人達によって『苦杯(L'amaro calice)』、『むだな小冊子(Piccolo libro inutile)』、『散文詩片』などの詩が収められた代表作『叙情詩集(Liriche)』が刊行された[2][4]

イタリア文学者河島英昭はコラッツィーニの詩を「黄昏派の中でも特にイタリア現代詩の出発点」と評している[2]

生涯[編集]

1886年2月6日、イタリア王国のローマに裕福な家庭の子として生まれるが、父の経済的な失敗によって瞬く間に貧乏人となり、高校に進学することができず通っていたローマの中学校を途中で退学してしまうという、不遇な前半生を送った。その後は没落した家を救うためにローマの保険会社に勤務した[5]

幼い頃よりフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌジュール・ラフォルグベルギー作家モーリス・メーテルリンクジョルジュ・ローデンバックらの詩に親しみ、特にフランシス・ジャムに関しては自らフランス語からイタリア語に詩を翻訳するほど傾倒していた[2]1904年、コラッツィーニが16歳の時に詩作を試みるようになり、最初の詩『Dolcezze』を書いたものの、1905年に入ると結核に苛まれ、ノチェーラ・ウンブラの療養所での入院を余儀なくされた。なお、コラッツィーニが発表した詩は『Pasquino de Roma』誌に掲載されていた。

1907年6月21日、ローマで肺結核のため満21歳で亡くなった。その後、1909年にコラッツィーニの友人達によって『苦杯(L'amaro calice)』、『むだな小冊子(Piccolo libro inutile)』、『散文詩片』などの詩が収められた『叙情詩集(Liriche)』が刊行され、以後コラッツィーニの代表作としてこれが知られるようになった。

作品[編集]

邦題があるものは邦題に従ったが、邦題がないものはイタリア語で記した。

  • 1904年、『Dolcezze
  • 1905年、『苦杯(L'amaro calice)』
  • 1905年、『Le aureole
  • 1906年、『むだな小冊子(Piccolo libro inutile)』
  • 1906年、『Elegia Frammento
  • 1906年、『Libro per la sera della domenica
  • 1909年、『叙情詩集(Liriche)』

参考文献・脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 河島英昭文章著『万有百科大事典 1 文学』(小学館、1973年)
  • 河島英昭文章著『新潮 世界文学小辞典』(新潮社、1971年)
  • 奥野拓哉文章著『大日本百科事典 7 こーさいの』(小学館、1967年)
  • 小林惺文章著『グランド現代百科事典 13 コスーササレ』(学習研究社、1983年)

脚注[編集]

  1. ^ a b クレプスコラーリ(黄昏派)とは、20世紀初頭のイタリアに登場した詩人たちの集まりで、1910年9月1日付けの新聞ラ・スタンパ』に同国の文芸評論家ジュゼッペ・アントニオ・ボルジェーゼ英語版が、マリノ・モレッティ英語版ファウスト・マリア・マルティーニ英語版カルロ・キアヴェス英語版ら3人の詩人に対して用いたことに端を発する。
  2. ^ a b c d e 河島1 1973, p. 230.
  3. ^ 河島2 1971, p. 326.
  4. ^ a b セルジォ コラッツィーニとは - コトバンク、2017年4月26日閲覧。
  5. ^ パオロ・ペトリーニCorazzini, Sergio". Dizionario Biografico degli Italiani - Volume 28. Treccani.

外部リンク[編集]