セミョーン・コーガン

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セミョーン・アルカディエヴィチ・コーガンロシア語:Семён Арка́дьевич Ко́ган, ラテン文字転写例:Semyon Arkadievich Kogan, 1928年4月24日 - 2016年4月5日)は、ソビエト連邦出身の指揮者[1][2]

白ロシア・ソビエト社会主義共和国(現ベラルーシ共和国)のバブルイスクの生まれ。1952年にレニングラード音楽院に入学してイリヤ・ルカシェフスキーにヴァイオリンを師事した他、クラリネットも学んだ。また、1955年から1959年までイリヤ・ムーシン指揮法を学んだ。1967年にオムスクにシベリア交響楽団(オムスク・フィルハーモニー管弦楽団)を設立して10年間首席指揮者を務め、1976年から1991年までロストフ交響楽団の首席指揮者を務めた。1978年からはロストフ・ナ・ドヌの音楽院の教授を務める。1974年に当局から名誉芸術家の称号を受け、2006年にはロシア政府から人民芸術家の称号が贈られた。

モスクワにて死去[3]

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  1. ^ omsk.aif.ru
  2. ^ rujen.ru
  3. ^ “Скончался Семен Аркадьевич Коган” (ロシア語). nvgazeta.ru. (2016年4月6日). オリジナルの2018年5月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/eKXXZ 2018年5月1日閲覧。