ジャコビニ・ツィナー彗星

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ジャコビニ・ツィナー彗星(ジャコビニ・ツィナーすいせい、21P/Giacobini-Zinnerジャコビニ・ジンナー彗星ジャコビニ・ツィンナー彗星ジャコビニ・チンナー彗星とも。略称Comet GZ)は、1900年ミシェル・ジャコビニが発見し、1913年エルンスト・ツィナーが再発見した、公転周期6.6年の周期彗星である。10月りゅう座流星群(旧称ジャコビニ流星群)母天体である。なお、ツィナーの再発見まではジャコビニ彗星と呼んだが、現在ではジャコビニ彗星は別の彗星の名前である。

発見

1900年12月20日UTフランスニースニース天文台ミシェル・ジャコビニは、みずがめ座彗星を発見した。10.5〜11だった。彗星はジャコビニ彗星と命名され、翌1901年2月16日まで観測された。6.8年の公転周期が求められ、1907年回帰が予言されたが、その年には現れなかった。

1913年10月23日ドイツバンベルクエルンスト・ツィナーは、たて座β星の近くの変光星を観測中に、ジャコビニ彗星を再発見した。彗星はジャコビニ・ツィナー彗星と呼ばれるようになった。

ジャコビニ流星群

ジャコビニ・ツィナー彗星は、ジャコビニ流星群母天体である。なお、流星群の名前は、彗星にともなって改名はされず、古い呼び名が残っていた。なお2009年に公式名称として、放射点の星座に基づく「10月りゅう座流星群」が付与されており、彗星名に基づく慣習名は非推奨となった。

ジャコビニ・ツィナー彗星は、遠日点木星軌道のすぐ外側にある木星族彗星であり、木星の重力の影響で軌道を変える。とくに、この彗星は近日点が1 AUよりわずかに遠いので、わずかな変化で地球の軌道との位置関係が変わり、流星群の規模が大きく変わる。

20世紀には、3回の大きな変化があった。

  1. 1910年2月、この彗星は木星から1 AU以内を通り、軌道は地球に接近し、大流星雨をもたらした。
  2. 1958年1月、この彗星は木星から0.93 AU以内を通り、軌道は地球から遠ざかり、これ以後、ジャコビニ流星群は見えなくなった。
  3. 1969年9月、この彗星は木星から、20世紀で最も近くである0.58 AU以内を通り、軌道は地球に近づいた。これ以降、再びジャコビニ流星群を見ることができるようになった。

ICEによる探査

彗星に向かうICE(想像図)

1978年8月12日アメリカ航空宇宙局 (NASA) は太陽風探査機ISEE-3を打ち上げた。ISEE-3は地球-L-1点で長く運用された後、軌道を変更し、彗星探査機ICEとして運用されることになった。

ICEは、1981年に月の重力を使った軌道変更を開始、1983年12月に地球重力圏脱出軌道に乗った。1985年9月11日、ジャコビニ・ツィナー彗星から7862 kmの距離でプラズマテイルを通過し、一酸化炭素イオンを検出した。

ICEはその後、1986年3月28日ハレー彗星に接近、探査した。

なお、日本宇宙科学研究所 (ISAS) のハレー彗星探査機さきがけが、1998年にジャコビニ・ツィナー彗星を探査することが検討されたが、推進剤の不足により断念された。

フィクション

松任谷由実のアルバム『悲しいほどお天気 』収録曲に「ジャコビニ彗星の日」がある。1972年10月9日のジャコビニ流星群を歌った歌である。ただし、歌詞には「72年10月9日」「流星群」という言葉はあるが、彗星自体は出てこない。

外部リンク


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