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カール・アウグスト (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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カール・アウグスト
Karl August
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公
在位 1815年 - 1828年

出生 (1757-09-03) 1757年9月3日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公領ヴァイマル
死去 (1828-06-14) 1828年6月14日(70歳没)
プロイセン王国の旗 プロイセン王国、グラーディッツ
埋葬 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国ヴァイマル
配偶者 ルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
子女 カール・フリードリヒ
カロリーネ・ルイーゼ英語版
カール・ベルンハルト
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世
母親 アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
サイン
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カール・アウグスト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハドイツ語: Karl August von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1757年9月3日 - 1828年6月14日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公(在位:1758年 - 1815年)、1815年に大公に昇格し、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公(在位:1815年 - 1828年)となった。

人物

ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世(ザクセン=ヴァイマル公位とザクセン=アイゼナハ公位を保持していた)と、妃アンナ・アマーリアの第1子として、ヴァイマルで誕生した。1歳の時に父が急逝したため、知的で啓蒙進歩的、芸術を愛する女性であった母アンナ・アマーリアが摂政となって公国を統治した。1771年より幼いカール・アウグストの家庭教師となったのは、クリストフ・マルティン・ヴィーラントであった。

1774年、カール・アウグストの実弟フリードリヒ・フェルディナントドイツ語版の家庭教師となったのは、詩人クネーベル英語版であった。クネーベルに連れられて若い兄弟はパリへ向かい、途中のフランクフルトゲーテを紹介された。これがカール・アウグストとゲーテの親交の始まりであった。

家族

1775年ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘、ルイーゼと結婚。7子が生まれたが、成人したのは3人である。

また、名うての女たらしとして知られ、3人の愛妾との間に5人の庶子をもうけている。

先代
エルンスト・アウグスト2世
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公

1758年 - 1815年
次代
大公国に昇格
先代
大公国に昇格
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公

1815年 - 1828年
次代
カール・フリードリヒ

出典