カール・アウグスト (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公)
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カール・アウグスト Karl August | |
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ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公 | |
ハインリヒ・クリストフ・コルベ画、1822年 | |
在位 | 1815年 - 1828年 |
出生 |
1757年9月3日 神聖ローマ帝国 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公領、ヴァイマル |
死去 |
1828年6月14日(70歳没) プロイセン王国、グラーディッツ |
埋葬 | ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国、ヴァイマル |
配偶者 | ルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
子女 |
カール・フリードリヒ カロリーネ・ルイーゼ カール・ベルンハルト |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世 |
母親 | アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル |
サイン |
カール・アウグスト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ (ドイツ語: Karl August von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1757年9月3日 - 1828年6月14日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公(在位:1758年 - 1815年)、1815年に大公に昇格し、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公(在位:1815年 - 1828年)となった。
人物
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世(ザクセン=ヴァイマル公位とザクセン=アイゼナハ公位を保持していた)と、妃アンナ・アマーリアの第1子として、ヴァイマルで誕生した。1歳の時に父が急逝したため、知的で啓蒙、進歩的、芸術を愛する女性であった母アンナ・アマーリアが摂政となって公国を統治した。1771年より幼いカール・アウグストの家庭教師となったのは、クリストフ・マルティン・ヴィーラントであった。
1774年、カール・アウグストの実弟フリードリヒ・フェルディナントの家庭教師となったのは、詩人クネーベルであった。クネーベルに連れられて若い兄弟はパリへ向かい、途中のフランクフルトでゲーテを紹介された。これがカール・アウグストとゲーテの親交の始まりであった。
家族
1775年、ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘、ルイーゼと結婚。7子が生まれたが、成人したのは3人である。
- カール・フリードリヒ(1783年 - 1853年) - 大公位を継承。ロシア大公女マリア・パヴロヴナと結婚。
- カロリーネ・ルイーゼ(1786年 - 1816年) - メクレンブルク=シュヴェリーン大公の公子フリードリヒと結婚。
- カール・ベルンハルト(1792年 - 1862年) - 軍人としてオランダ軍に所属した。ザクセン=マイニンゲン公女イーダと結婚し、8子をもうけた。
また、名うての女たらしとして知られ、3人の愛妾との間に5人の庶子をもうけている。
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