オリーブの木
オリーブの木(イタリア語: l'Ulivo)は、かつて存在したイタリアの政党連合。
概要
1994年の第12回総選挙で勝利した中道右派連合は、シルヴィオ・ベルルスコーニを首相に政権運営を担ったが、ベルルスコーニの汚職疑惑によりわずか1年で崩壊した。第12回総選挙を政党連合「進歩主義者」で臨んだものの敗北した中道左派連合は、ベルルスコーニ政権総辞職後に発足したランベルト・ディーニ率いる非政治家内閣を信任、政権への影響力を持つ一方で次期総選挙に向けて中道勢力との連携が課題であった。
ディーニ内閣が上下両院で承認された翌日、経済学者のロマーノ・プローディは中道左派勢力を結集する市民運動を開始することを表明、シンボルを「オリーブの木」とした。運動名を「オリーブの木」にした理由は、「平和の象徴で、丈夫で実がなる」ことからである。
プローディの「オリーブの木」構想に賛同したのは野党第一党の左翼民主党(PdS)で、書記長のマッシモ・ダレマは「オリーブの木」への参加を表明、前回選挙を「進歩主義者」で戦った各党も参画した。しかし左派の共産主義再建党(PRC)はプローディが旧与党勢力のキリスト教民主主義(DC)出身でDC政権において閣僚経験があることから警戒し、参加を見合わせたものの選挙協力には同意した。
「オリーブの木」は旧イタリア共産党系のPdSが中核であるものの、プローディを首相候補にしたことから共産主義の色彩を抑えることに成功した。1996年の第13回総選挙ではベルルスコーニ率いる右派連合を抑え、議会最大勢力に躍進した。
オリーブの木 ともにイタリアのために
オリーブの木は「ともにイタリアのために」を標語としてイタリアの中道政党(イタリア人民党など)と左派政党が連合したものである。1996年4月21日の総選挙でオリーブの木は共産主義再建党と結んで勝利し、ロマーノ・プローディを首相に据えた。1998年10月9日プローディは共産主義再建党の閣外協力が得られなくなり辞職、10月21日左翼民主主義者のマッシモ・ダレマが後任に選ばれた。1999年12月22日の第二次ダレマ政権、2000年4月25日の第二次ジュリアーノ・アマート政権までオリーブの木は政権の中核を担った。
2001年5月13日、第14回総選挙でマルゲリータ党のフランチェスコ・ルテッリ率いるオリーブの木はシルヴィオ・ベルルスコーニの中道右派連合「自由の家」(Casa delle Libertà) に敗れた。
欧州でのオリーブの木連合
2004年6月12日の欧州議会選挙でオリーブの木連合は31.1%の得票を得た。このときのオリーブの木はそれまでの参加8政党中の3つとそれまで協力関係のなかった「ヨーロッパ共和運動」だけであった。
オリーブの木連合
2004年9月13日オリーブの木は夏に欧州議会選挙を戦った4党で統一オリーブの木 (Uniti nell'Ulivo) を再結成した。
- 参加政党
2005年2月10日に2006年のイタリア総選挙に向けて、オリーブの木連盟と緑の党系と共産党系の中道左派政党は「自由の家」のベルルスコーニ政権打倒を目指して「連合」(L'Unione) を結成し、名前とロゴを公表した。
外部リンク
- ulivo.it - 民主党(イタリア語)
- perlulivo.it