エンガディン (水上機母艦)

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艦歴
発注
起工 1910年
進水 1911年9月23日
(商用海峡横断フェリーとして)
竣工 1912年
就役 1914年8月13日
退役 1919年11月
その後 1941年に触雷、沈没
除籍 1919年
性能諸元
排水量 1,676トン
全長 316 ft (96 m)
全幅 41 ft
吃水 16 ft (4.9 m)
機関 蒸気タービン、6,000 shp(4MW)、
3軸推進
最大速 21ノット (39 km/h)
乗員 250名
兵装 12ポンド砲4門、
3ポンド砲2門、
2ポンド砲1門
搭載機 ショート 184水上機4機

エンガディン (HMS Engadine) は、第一次世界大戦時のイギリスの水上機母艦

艦歴[編集]

「エンガディン」は、ウィリアム・デニー・アンド・ブラザーズ社でフォークストンブローニュ=シュル=メール間のフェリーとして建造された。1911年9月23日に進水し、スイスエンガディンにちなんで命名され、1912年に竣工した。

1914年に姉妹船「リヴィエラ」と共にイギリス海軍に買い取られ、ショート 184 水上機4機の運用能力を付与された。

「エンガディン」の搭載機は1914年12月25日のクックスハーフェン襲撃に参加した。1916年のユトランド沖海戦の際には、「エンガディン」の水上機の1機がドイツ帝国艦隊の偵察を行った。これは空気より重い航空機により行われた史上初めての敵艦隊の偵察であった。戦闘の後、「エンガディン」は大破した装甲巡洋艦ウォーリア」の乗員を救助し、その後「ウォーリア」を曳航した。戦争後半は地中海で活動した。

1919年12月に元の所有者サウス・イースタン・アンド・チャタム・レイルウェイ社に買い戻された。1933年にフィリピン・フェルン・ハーマノス社の「コレヒドール (Corregidor)」となり、マニラ・セブ島間で運行された。

1941年12月17日、避難者を乗せセブ島へ向かおうとしたコレヒドールはマニラ湾中央で日本の潜水艦「伊124」が敷設した機雷に触れ沈没した[1]。乗船者はアメリカの機雷に触れたと思ったという[1]。現場に駆けつけた魚雷艇「PT-34」、「PT-32」、「PT-35」が1200人の乗客のうちおよそ280人を救助した。

脚注[編集]

  1. ^ a b #木俣潜 pp.117

参考文献[編集]

  • 海人社『世界の艦船 増刊 イギリス航空母艦史』2005年10月号増刊 No.649
  • 木俣滋郎『日本潜水艦戦史』図書出版社、1993年。ISBN 4-8099-0178-5 

関連項目[編集]