エドワード・ラドウィッグ

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Edward Ludwig
エドワード・ラドウィッグ
別名義 エドワード・I・ラディ
(Edward I. Luddy)
チャールズ・ファー
(Charles Fuhr)
生年月日 (1899-10-07) 1899年10月7日
没年月日 (1982-08-20) 1982年8月20日(82歳没)
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 (現ロシアの旗 ロシア
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタモニカ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族 スラヴ人
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画テレビ映画
活動期間 1920年 - 1966年
活動内容 1920年 監督デビュー
主な作品
大車輪 (ビッグ・ホイール)
ハワイの陰謀
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エドワード・ラドウィッグ(-ルドウィグEdward Ludwig, 1899年10月7日 - 1982年8月20日)は、アメリカ合衆国映画監督脚本家である。エドワード・I・ラディEdward I. Luddy)の名でも知られる。

人物・来歴[編集]

1899年(明治32年)10月7日、革命前のロシア帝国(現ロシア)に生まれる。幼少期に家族とともにアメリカに移住し、ニューヨーク等で育つ[1]

1920年(大正9年)、21歳のころにサイレント映画の映画監督としてデビューしている[1]。当時は、エドワード・I・ラディと名乗り、1921年(大正10年)から1929年(昭和4年)までの8年間に55本のサイレント映画を監督した[1]

1931年(昭和6年)、ユニヴァーサル映画からRKOに移籍して、トーキーを手がける。トーキーは以降、1957年(昭和32年)まで36本を監督した[1]。この時期の作品としては、ミッキー・ルーニー主演の『大車輪 (ビッグ・ホイール)』(1949年)、ジョン・ウェイン主演の『ハワイの陰謀』(1952年)が知られる。

1958年(昭和33年)以降はテレビ映画に進出、1959年(昭和34年)にはテレビ映画シリーズ『ボナンザ』等を手がけた[1]

1982年(昭和57年)8月20日カリフォルニア州サンタモニカで死去した。満83歳没。サイレント映画からテレビ映画まで、100作あまりを監督した。

おもなフィルモグラフィ[編集]

en:Category:Films directed by Edward Ludwig

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  1. ^ a b c d e #外部リンク欄、Internet Movie Databaseの本項リンク先の記述を参照。二重リンクを省く。

外部リンク[編集]