エスコラピオス修道会

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エスコラピオス修道会(エスコラピオスしゅうどうかい、: Ordo Clericorum Regularium pauperum Matris Dei Scholarum Piarum、略称: S.P.、西: Escolapios)は、キリスト教 カトリック教会の男子修道会。総本部はローマ

青少年の人間的・キリスト教的な教育を通して、社会の刷新を図ることが目的。創始者聖ヨセフ・カラサンスは「幼い頃からの教育」が重要であるとした為、活動の重点は基礎的な教育およびキリスト教要理の教育を目的とした小・中学校に置かれている。

広く哲学神学の分野にも着目し、ガリレオ・ガリレイトマソ・カンパネッラを認める等、各々の時代における革新的な面に大いに貢献して、神学校の指導や中央ヨーロッパでの反宗教改革運動にも加わり実績を残している。

日本には、1950年10月に同会の司祭2名が横浜に来日。以来、多数の修道会会員が来日しており、青少年教育や、小教区司牧等に携わっている。現在、四日市市と横浜市に小教区2つを持ち、教育活動は、2つの幼稚園および四日市市の海星中学校・高等学校を通して行なわれている。日本本部は横浜市の戸部カトリック教会に併設されている。

創設

1597年、聖ヨセフ・カラサンスにより、ローマ郊外の聖ドロテア聖堂に子供たちを集めて、西欧で最初の無月謝の学校が開かれ、多数の教区付司祭の共鳴を得た。

1602年クレメンス8世は彼らを青少年の教育を目的とする在俗集団として認可。1617年6月13日パウルス5世は、このエスコラピオス在俗集団を「天主の聖母在俗司祭集団」と合併させたが、まもなく分離。1617年「敬虔な学校の神の母の貧しいパウロ修道会(Congregatio Paulina Pauperum Matri Dei Scholarum Piarum)」の名称で通常誓願修道会とされた。1621年グレゴリウス15世により公式誓願修道会として認可され、翌年当修道会の会意が認められた。

その後、1643年、修道会内外に問題が生じたため、インノケンティウス10世によって1646年に当会は誓願なしの在俗集団に変更され、会は解散の危機に瀕したが、1669年クレメンス9世により、再び公式誓願修道会に昇格、以前の権利を取り戻した。以後、当会は世界各地で幅広く活動している。

来日への過程

1949年12月2日、スペインバスク管区長フアン・マヌエル・ディアズ神父が、エスコラピオス修道会総会長ビセンテ・トメク神父宛に手紙を送った。その内容は、「日本の横浜教区宣教師を送りたい」というもの。翌日の12月3日、同総会長神父は、バスク管区長宛に「横浜教区脇田司教と連絡をとって宣教師を送る約束をし、日本での宣教師の仕事を引き受ける」との手紙を送った。これら2通の手紙は、偶然にも行き違いだったが、バスク管区の神父達は神秘的な感じを受けた。そこで日本行きの志望者を募ったところ、26名にもなり、その中から、フェリチアノ・ペレス神父とペドロ・ルイス・ペレア神父が選ばれ、1950年9月21日スペインを発ち、10月3日に羽田空港に降り立った。

外部リンク

参考資料