アンリ・ヴァスロン

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アンリ・ヴァスロン
Henri Vasselon
カトリック大阪司教
教会 カトリック教会
前任 フェリックス・ニコラス・ミドン
後任 ジュル・オーグスト・シャトロン
聖職
司祭叙階 1877年4月22日
司教叙階 1893年11月30日
個人情報
出生 1854年4月1日
フランスの旗 フランス オート=ロワール県クラポンヌ
死去 1896年3月7日(1896-03-07)(41歳)
日本の旗 大阪府大阪市
国籍 フランスの旗 フランス
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アンリ・ヴァスロン(Henri Vasselon,1854年4月1日-1896年3月7日)は、フランスのカトリック宣教師でパリ外国宣教会員。カトリック大阪教区の第2代司教を務めた。

生涯[編集]

オート=ロワール県クラポンヌで生まれる。母のイザベル・クラベルは、1794年6月17日にピュイ・アン・ヴェレー大修道院長アントワーヌ・クラベル、妹のキャサリンと共にギロチンで処刑されたジャン・バプティスト・クラベルの孫娘であった[1]ブリーヴ=シャランサックにあるシャルトルーズの小神学校で学び、1873年9月23日にパリ外国宣教会の神学校に進んだ。

1877年4月22日、ベルナール・プティジャンによって司祭に叙階された。同年5月17日に日本に向けて出発。1879年の終わりに、彼は岡山市の学校でフランス語の教師になり、1885年に大阪に配属されるまでそこに留まった。 1888年に、フェリックス・ミドンによって司教総代理に任命された[2]

1891年に彼は『聲』を設立し、 1946年に大阪教区の雑誌になる前に京都で最初に出版された。2013年に廃刊となった[3]

フェリックス・ミドンの死後、後任に任命された。活動期間は短く、彼は41歳に内出血で亡くなった。

クラポンヌ・スル・アルソン(Craponne-sur-Arzon)の町の通りには、彼の名前が付けられている。

脚注[編集]

  1. ^ Henri VASSELON (1854-1896)
  2. ^ Annales des Missions étrangères de Paris, revue, janvier 1938, p. 5.
  3. ^ La Croix, 10 avril 2013