アルティガス県

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アルティガス県

Artigas
Departamento de Artigas
アルティガス県の旗
アルティガス県の紋章
紋章
アルティガス県と県都の位置
アルティガス県と県都の位置
南緯30度37分27秒 西経56度56分42秒 / 南緯30.62417度 西経56.94500度 / -30.62417; -56.94500
ウルグアイの旗 ウルグアイ
設立 1884年10月1日
県都 アルティガス
政府
 • 県知事 パトリシア・アヤラ (拡大戦線)
面積
 • 合計 11,928 km2
人口
(2004)
 • 合計 78,019人
 • 密度 6.54人/km2
等時帯 UTC-3
 • 夏時間 UTC-2
ISO 3166コード UY-AR
住人の呼称 Artiguense
ウェブサイト artigas.gub.uy

アルティガス県(アルティガスけん、西: Departamento de Artigas)は、ウルグアイの北端に位置する県。1万1928平方キロメートルに7万8019人が暮らしている。県都はアルティガス

県名は独立戦争中、ウルグアイ川東岸に住む人々を束ねたホセ・ヘルバシオ・アルティーガス英語版(1764年 - 1850年)にちなみ名付けられた。彼はこの地域でスペインと戦った。制約のない民主主義、連邦制、土地改革を推進しようとする彼の思想は、ブエノスアイレスの支配階級らと相反するものだった。彼は現在のウルグアイを含めたアルゼンチンの州の組織、リーガ・フェデラルを率いたが、この地域での戦争にはスペイン、ポルトガル(後にブラジル)、アルゼンチンが介入し、ポルトガルの侵攻を知った彼はパラグアイに逃れて1850年に亡くなった。彼はウルグアイで国民的英雄として崇められているが、彼の急進的で革命的な思想は反映されていない。普通選挙と子どもの授業料無償化は数十年前に実現したが、土地改革は未だ行われていない。

地理

北と東でブラジルと、西でアルゼンチンと、南でサルト県と、南東でリベラ県とそれぞれ接する。ブラジルとの国境の一部には係争もあるが、ラテンアメリカ諸国の多くの領土問題とは異なり近年の両国の友好関係には影響を及ぼしていない。

中部と東部は玄武岩ケスタ地形で、クアライ川河岸に堆積平野が広がっている。ベレン山地などの山地もいくつか見られる。西部は沖積平野となっている。

年平均気温は19℃以上と国内で最も高い。年間降水量は1400mm。

歴史

県は法の制定に伴い、1884年10月1日に設立された。[1] ウルグアイ史上特筆すべき出来事であるマソリェルの戦いは、アルティガス県とサルト県の県境に位置し、ブラジル国境にも近いマソリェルで起こった。

経済

ベリャ・ウニオンの農園
県内の鍾乳洞から産出されたアメジストの断面

アルティガス県では特殊な気候条件を生かし、ベリャ・ウニオン市を中心とした穀倉地帯が形成されており、青果、サトウキビ、コメなどが栽培されている。その他の地域では畜産が基幹産業となっている。宝石も産出されるため、アルティガス市近郊では宝石加工業も盛ん。

アルティガス県はウルグアイで最も平均所得の低い県である。

人口動静

2004年の国勢調査時点で、県内には7万8019人、2万1907世帯が住んでいる。一世帯あたりの平均人員は3.2人で、女性100人に対し男性は100.4人いる。

  • 人口増加率 - 0.113%(2004年)
  • 出生率 - 人口1000人あたり19.36人(2004年)
  • 死亡率 - 人口1000人あたり7.46人
  • 平均年齢 - 27.3歳(男性25.6歳、女性28.8歳)
  • 平均寿命
平均 - 75.07歳
男性 - 70.62歳
女性 - 79.70歳
  • 家族の平均サイズ - 妻一人に対し子どもが2.77人
  • 人口5000人以上の都市部の平均所得 - 一月あたり2928.1ペソ

主な都市

人口1000人以上

都市名 原語表記 人口
アルティガス Artigas 4万1687人
バルタサル・ブルム Baltasar Brum 2472人
ベリャ・ウニオン Bella Unión 1万3187人
ラス・ピエドラス Las Piedras 2164人
ピンタディト Pintadito 1487人
トマス・ゴメンソロ Tomás Gomensoro 2818人

その他の町村

脚注