アルクメーネー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。SassoBot (会話 | 投稿記録) による 2012年3月12日 (月) 00:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.2) (ロボットによる 除去: vi:Alcmene (thần thoại Hy Lạp ))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ヘーラクレースを産むアルクメーネー。

アルクメーネーAlkmene, : Ἀλκμήνη)は、ギリシア神話の女性である。長母音を省略してアルクメネとも表記される。

ミュケーナイエーレクトリュオーンとアナクソーの娘で、ストラトバテース、ゴルゴポノス、ピューロノモス、ケライネウス、アムピマコス、リューシノモス、ケイリマコス、アナクトール、アルケラーオスと兄弟。異母兄弟にリキュムニオス。伯父のアムピトリュオーンと結婚し、ヘーラクレースイーピクレースの母となった。

神話

兄弟と父の死

ミュケーナイがタポス人を率いるプテレラーオスの息子たちと戦争になったとき、アルクメーネーの兄弟たちはリキュムニオスを残して戦死した。生き残ったタポス人たちはエーレクトリュオーンから奪った牝牛の群れをエーリス王ポリュクセノスに預けたが、アムピトリュオーンはそれをポリュクセノスから金で取り戻した。

エーレクトリュオーンは息子たちの仇を討つため、軍を率いて遠征し、その間王国と娘のアルクメーネーをアムピトリュオーンに任そうと考えた。ところがアムピトリュオーンが牝牛を引き渡すとき、アムピトリュオーンの投げた棍棒が原因でエーレクトリュオーンは死んでしまった。このためステネロスはアムピトリュオーンを追放し、アルクメーネーとリキュムニオスは彼に従ってテーバイに行った。

結婚と出産

テーバイに着いたアムピトリュオーンはアルクメーネーとの結婚を望んだが、彼女は兄弟の仇を討ったならば結婚してもよいといった。そこでアムピトリュオーンは戦争の準備に手間取ったものの、タポスを攻めてプテレラーオスを滅ぼし、テーバイに戻った。

アムピトリュオーンが戻る前夜、ゼウスはアムピトリュオーンに化けてアルクメーネーのもとにやって来て、夜を3倍の長さにしてアルクメーネーと一夜をともにし、タポスとの戦争について語って聞かせた。翌日アムピクトリュオーンがやって来てプテレラーオスを滅ぼしたことを伝えたが、もうすでに聞いたことだったのでアルクメーネーは特に関心を持たなかった。アムピトリュオーンはその理由をテイレシアースから聞いた。こうしてアルクメーネーは1夜だけ年上のゼウスの子ヘーラクレースとアムピトリュオーンの子イーピクレースを身ごもった。

ところがゼウスは次に生まれてくる英雄ペルセウスの子孫を次のミュケナイの王にすると神々に宣言したため、嫉妬したヘーラーは出産の女神エイレイテュイアを説得し、アルクメーネーの出産を押しとどめ、ステネロスとニーキッペーの子供エウリュステウスが先に生まれるようにした。このためアルクメーネーはヘーラクレースを腹に抱えて余分に苦しまなければならなかったが、侍女ガランティスが機転を利かせ、アルクメーネーが出産したと偽って大声で叫んだ。すると出産を押えていた女神たちがいなくなり、無事2人を産むことが出来た。

しかし赤子のヘーラクレースを見て憎らしくなったヘーラーは、今度は2匹のを送って殺そうとした。アルクメーネーは驚いて大声で夫に助けを求めたが、ヘーラクレースは自ら蛇を退治した。

アルクメーネーのその後

後にテーバイがオルコメノスエルギーノスと戦争になったとき、ヘーラクレースの活躍でテーバイは勝利したが、アムピトリュオーンは戦死してしまった。そこで、今度はテーバイに亡命していたラダマンテュスがアルクメーネーと結婚し、ボイオティアのオーカレイアに住んだ。

ヘーラクレースの死後、ヘーラクレイダイとエウリュステウスとの間に戦争が起こり、ヒュロスは討ち取ったエウリュステウスの首をアルクメーネーに送り、アルクメーネーはその両目をえぐり取ったという。

アルクメーネーの死については、死んだ時に石になったとも、アルゴスからテーバイに向かう途中メガラで死に、ヘーラクレイダイは遺体をテーバイとアルゴスのいずれに葬るかで対立したが、デルポイの神託によってメガラに葬ったともいわれる。

参考文献

関連項目