Wikipedia:コメント依頼/Tiyoringo(II)

依頼理由[編集]

利用者:Tiyoringo会話 / 投稿記録さんの東京福祉大学、中島恒雄などにおける記述について。曖昧な出典での法人に対する名誉毀損および記述に関して管理者より注意されながら改めない編集態度についてのコメントを提出させていただきます。 ノートにおいて特に大学に関しては学生の気持ちを考え、最小限の事実の記載にとどめるように再三要請していますが、執拗に曖昧な出典を元に批判を繰り返しています。 彼の態度に対しては当方より
「示談が成立した事件は記すのは適切ではない。」との指摘に対してこれを一方的に差し戻す [1]
として指摘を受けたのにもかかわらず差し戻しを行われ
これに対しては管理者Miyaさんより
大言壮語修正:情報源が自著であることを明確化。存命人物につき『朝ズバッ!』のみを情報源とする過去の事件についてコメントアウト)[2](Miya2009年12月22日 (火) 11:55時点における版 (編集)
との注意を受けています。
詳しい敬意は東京福祉大学中島恒雄のノートをご確認ください。
--人権 2010年1月3日 (日) 02:30 (UTC)[返信]

Tiyoringo‎さんに対しては他の読者からもコメント依頼が出されている(Wikipedia:コメント依頼/Tiyoringo‎)ようですが、本件は別件として対応してください。人権

本コメント依頼の提起者ですが。本コメントはコミュニティの賛同を得られないことがほぼ確認できましたので、取り下げようと考えております。現在利用者‐会話:青子守歌さんに方法を伺っております。--人権 2010年1月5日 (火) 13:41 (UTC)[返信]

被依頼者コメント[編集]

示談が済んだ事項を公にすることについて、一言述べさせていただきます。人権さんには申し訳ありませんが示談は犯罪がなかったことになるわけではありません。窃盗罪では初犯の場合、かなりの確率で執行猶予がついていた(罰金刑が課せるようになってからは変化があるかもしれません。)がこれは犯罪がなかったことにするのではなく処罰を軽くするためのものでしかありません。京都教育大学の学生による準強姦容疑事件については示談が済んだために起訴が見送られているため事実関係が裁判で明らかにされなかったこともあり詳述するのは望ましいことではないと思いますが。(それでも学長がこの件で最終的に辞任したことは特筆すべきこととなるでしょう。)東京福祉大学の中島氏の場合は一部の事件について示談が成立したが控訴審でも実刑判決を受けていることから示談があったから書くべきではないとは言えないでしょう。--Tiyoringo 2010年1月4日 (月) 10:22 (UTC)[返信]

コメント[編集]

示談について[編集]

Tiyoringo さん
本依頼はまもなく取り下げる予定でおります。
法律の知識をひけらかすつもりはありませんが、示談で不問にされるかどうかは、親告罪か否かで違ってきます。 一対一の婦女暴行の場合は示談が成立すれば事件はなかったことになります。性行為が合意によるものであったかなかったかが最も重要になってきます。そうでなければ日本中の夫婦や恋人の愛情表現を取り締まらなければならなくなります。この理屈分かってもらえますね?窃盗の場合もとられたほうが財産権を侵害されたかどうかどう感じるかということが重要になってきます。警察から窃盗の現行犯として検挙しても被害者が犯人に贈与したと主張すれば不問に附されます。
それに対して例えば殺人はいくら被害者家族が警察に不問に附してくれと懇願してもそれは適わないということです。これは殺人人権を最大限に犯す行為で社会がこれを容認することは出来ないということです。--人権 2010年1月4日 (月) 11:05 (UTC)[返信]

どうやら依頼者は法律について(少なくとも上記コメントで述べている親告罪等について)根本的に理解していない模様です。法律用語を振り回すのはおやめになったほうがいいでしょう。親告罪は告訴がなければ公訴を提起できない だけです。犯罪(犯罪の事実)自体がなかったことになるわけではありません。「日本中の夫婦や恋人〜」に至っては噴飯物です。窃盗の例では刑法242条がある以上、窃盗が行なわれる前に贈与の意思表示があったとしても、窃盗として扱われるでしょう(親族間の事例を除く)。財産権云々は窃盗が基本的に親告罪でない以上、論外と言わざるを得ません。-- 2010年1月4日 (月) 12:54 (UTC)[返信]

コメント依頼を出された当事者が反訴することについて[編集]

報復という意味は難しいところですが、
当方でもTiyoringo氏の執筆態度には問題を感じておりましたが、今まで控えておりましたが、先方が当方にコメント依頼を出されたのでこちらも控えの態度を変えたということです。個人に対するコメント依頼はある意味で個人を断罪する意味があります。これに対してこちらも反証することは当然の権利と考えます。コメント依頼を出された場合そこで相手に対する批判を展開しても同等の反証可能性は担保されないのが実情です。それならば早い者勝ちということになってしまいます。--人権 2010年1月3日 (日) 03:15 (UTC)[返信]
別に前々から考えていたとか関係なく、同一のケースに対して被依頼者が依頼者に対するコメント依頼を出すことを報復依頼と言い、それ以上でもそれ以下でも無いです。個人の断罪とかその辺も色々述べたいのですが、そういう次元の話以前の問題として、報復依頼はマルチポスト化してしまい、意見が分散するので望ましく無いんです。現に同一の件に対して方やMkhcan487氏、方や郁氏がコメントされ、既に分散が起こっている。だから、どのような背景や動機があろうと報復依頼はするべきではないのです。--EULE 2010年1月3日 (日) 03:40 (UTC)[返信]

「コメント依頼を出された場合そこで相手に対する批判を展開しても同等の反証可能性は担保されない」という私の問題提起に対するご回答にはなっていないようですが、現在の仕組みでは事実上コメント依頼が個人の告発の手段として使われている以上、何らかの対応策を検討していただければと考えます。--人権 2010年1月3日 (日) 06:12 (UTC)[返信]

そもそも何か勘違いしていますが、コメント依頼はあくまで第三者に意見を求めるのであって、その点において依頼者と被依頼者の立場上の有利不利は無いです。ひいて挙げるなら、被依頼者はコメント(反論)しない時において不利になるかもしれない。まっとうな主張をされているなら、被依頼者の立場でも何ら形勢が不利ということはなく、むしろそういう場合は依頼者の方が批判され、場合によっては依頼者がブロックされるなんて例もあります。
ただ、補足しておくなら、今回の件に関しては人権氏は非常に立場上不利だと思います。なぜなら、報復依頼を出した時点で、第三者の心象を悪くしているからです。--EULE 2010年1月3日 (日) 09:01 (UTC)[返信]


コメントこの依頼はWikipedia:コメント依頼/人権の報復依頼ではないでしょうか?別件として考えろと言われましても、関連したものですし、会話ページを見る限りTiyoringo「コメント依頼を提出しました」→人権「じゃ俺も提出する」って流れに思えるんですけど。)(Mkhcan487さんの会話、以下に続くが話題が変わるので小項を挿入する)

Wikipedia‐ノート:コメント依頼#コメント依頼を出された当事者が相手に対するコメント依頼を出すことについて を立ち上げました。--人権 2010年1月3日 (日) 09:21 (UTC)[返信]

皆さんのご意見を拝聴すると、個人的にTiyoringoを告発しても生産的な議論は生まれなさそうですし、議論が拡散するので、よろしければ本ノートは閉じて、Wikipedia‐ノート:コメント依頼#コメント依頼を出された当事者が相手に対するコメント依頼を出すことについて Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 学校#学校関係者が起こした事件をどこまで学校の記事に掲載するかにポイントを絞ってそちらに移して議論を進めていただこうとおもいますがいかがでしょうか?--人権 2010年1月3日 (日) 09:43 (UTC)[返信]

示談が済んだ事項を公にすることについて[編集]

事実関係は検証可能な出典から情報を得ているわけで、尚且つ時事通信や産経新聞といった著名な新聞社の記事であるため信頼できる情報源基づいていると思います。こういった信頼が可能なものを出典とした記述を除去する必要は皆無。学生の気持ちを考えるべきとのことですが、それはWikipediaにおけるどのルールによるものでしょうか?Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:存命人物の伝記と照らし合わせて、何が問題なのか確認できません。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月3日 (日) 03:04 (UTC)誤解していた部分を取り消し--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月3日 (日) 03:55 (UTC)[返信]
内容を確認されれば分かると思いますが、これは示談が済んだ事件です。示談は当事者間で交わされる契約で、事件性を不問に帰すということです。これを公に記す必要があるのかお考えください。まさに人権問題です。個人のとりわけ犯罪暦に関する記述はこのような細かい仕分けは必要であるのです。また当該の記事はアサズバで報じられたと間接に伝える内容であることにもご留意ください。それだからこそ利用者:Miyaさんがわざわざご注意されたのではないでしょうか。--人権 2010年1月3日 (日) 03:20 (UTC)[返信]
示談ですもうが何だろうか問題ではありません。その事柄を除去すべきか否かを判断する基準は、あくまでもWikipediaの方針及びガイドラインなわけですよ。依頼者はWikipediaにおける何のルールに抵触するかを提示してくださいな。本人や学生がかわいそうだという感情論だけでは説得力に欠けます。なお、「示談で済んだ事件を存命人物の記事に書くべきか否か」の議論でしたら、Wikipedia:井戸端とか然るべき場で提議してください。
それと、日時を付けて署名している発言を、後から修正するのは断りを入れてください。要約欄とか元の署名の後とかに。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月3日 (日) 03:53 (UTC)[返信]
もう一度繰り返します。示談の意味をご確認ください。--人権 2010年1月3日 (日) 04:01 (UTC)[返信]
だから示談が成立した事件であろうと、Wikipediaのルール上問題のない記述であれば記載しても構わないって言ってるんですよ。ルール上問題があるなら除去すべきですが、そうでなければ除去する必然性はありません。積極的に除去を主張するならば、その根拠として何のルールに抵触するかを提示してほしい。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月3日 (日) 04:06 (UTC)[返信]
示談というのは個人間の問題です。これを故なく公にするいことは個人の秘密の暴露に相当します。Wikipedia:存命人物の伝記#当人はプライバシー尊重を望んでいると推定するをご確認ください。--人権 2010年1月3日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
話がそれているので意見しますが、少なくとも氏は法律的な面を根拠にされている。その点に対してウィキペディアのルールでは… だとかみ合わないのは当然だと思います。で、氏は法律を根拠にされているので、たぶん法律に詳しいんでしょう。だから、「示談で解決した問題を公表されることは名誉棄損罪にあたる」という判例を示していただければ、良いと思います。むろん、公共の利益との兼ね合いがとれる事例でお願いします。これで簡単に議論が決着できます。--EULE 2010年1月3日 (日) 04:22 (UTC)[返信]
(追伸)で、Mkhcan487氏も言ってますが、こういう議論はWikipedia:井戸端でやるべきものです。だから、できれば、井戸端でやってほしいと思います。そのほうが、法律に詳しい人も見るでしょうから。こういう人が限られる場所でこういう難しい議論やっても良い結論は出ないです。--EULE 2010年1月3日 (日) 04:25 (UTC)[返信]
Wikipedia:存命人物の伝記#当人はプライバシー尊重を望んでいると推定するを理由とするならば、2つ目の例を基にした記述をすればいいのではないではないでしょうか。出典としては検証が可能なので、問題となってくるのはみのもんたの朝ズバッ!信頼できる情報源であるか否かでしょう。これは議論の余地があります。
なお、私自身は法学を専攻してなかったので、名誉毀損罪が適応された事例を提示していただければありがたく思います--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月3日 (日) 04:31 (UTC)[返信]

自分としては専門的知識を振りかざして煙に巻くと言った態度は自分の好みではありません。今一度Miyaさんの指摘[3]に立ち返って問題の本質を考えませんか。--人権 2010年1月3日 (日) 05:56 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 学校#学校関係者が起こした事件をどこまで学校の記事に掲載するかを立ち上げましたこちらもご参照ください。--人権 2010年1月3日 (日) 07:16 (UTC)[返信]

専門的な知識を振りかざしてかまいませんし、むしろ中途半端に知識を小出しされ、振り回される方が迷惑です。法的な観点を出すなら出す、出さないなら出さないでやってください。--EULE 2010年1月3日 (日) 09:08 (UTC)[返信]

専門的知識を振りかざして素人を煙に巻くと言った態度はフェアではないと考えますので、避けようと思います。ただし私がそれほどの玄人というわけでもありませんが。法的なの議論を始めるとノートが何百枚あっても足りないことになります。法的な問題についてはウィキが具体的には投稿者が訴えられる危険を回避したいということが含意です。あくまでもウィキの内容はコミュニティの合意で結論を付けてるのが順当でしょう。--人権 2010年1月3日 (日) 09:35 (UTC)[返信]

それじゃなおさらWikipediaのルールにそった記述が望ましいでしょ?名誉毀損とか人権問題とか法的なこと言い出したのに、法律には触れないとか言われても困るんだけど。
私はMiya氏の行為は不適切だったと思うし、除去、コメントアウトに値する内容だとも思わない。なぜなら、存命人物記事に関するWikipediaのルールの要約としては「未出典または信頼不可の情報に基ずく記述は積極的に除去をすべき」と言うことだから。未出典でないし非中立的観点に基づくものでもない以上、それを一方的に除去するのは好ましくない。問題なのは「朝ズバ」が信頼できる情報源となりえるか否かじゃないかな?朝ズバが信頼するに足らぬ情報媒体であるのならば、除去すべきでしょう。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月3日 (日) 18:33 (UTC)[返信]

批判をMiyaさんのほうに持っていかれるのはご遠慮いただければと思います。Miyaさんも「人権さんの編集を全面的に支持しているわけではありません。他利用者の編集を根拠にしないで、法律、判例、もしくはウィキペディアの方針を根拠にしていただきたいと思います。」[4]と記されておりますので、あくまでもMiyaさんの発言を引用したのは人権ですので。--人権 2010年1月4日 (月) 09:17 (UTC)[返信]

◆言いたいことは既に言われてるけど。「法的なの議論を始めるとノートが何百枚あっても足りないことになります。」それは(主に)素人が法解釈するから起こる(憲法九条の議論じゃ学者でも揉めるだろうけど今回はそういうものじゃない)。解釈ってのは何通りも作ろうと思えば作れますから。だから、私は、これこれこういう法例(事例)を挙げてくれれば簡単に決着できるからお願いって口を出したんですよ。法的な議論を始めると収拾がつかなくなるのは重々承知です。もし、人権氏が弁護士や司法書士あるいは法学者といった人間でも無く、単に法律文書の字面を追っただけで、「示談で済んだ事件を公表することは人権問題だ、名誉棄損だ」って言ってるなら、そんな意見には何の価値もありません。こういうのはあくまで専門家の意見が重要ですから。なのに専門的だと問題であるというなら、それは議論を解決させるつもりが無いと言っていることに等しく、もはや中途半端に法的な面を持ち出すことが煙に巻く行為です。
あと人権氏が何かと持ち出されいるMiya氏の編集ですが、管理者としての行為ではなく、あくまで一編集者として扱ってくれとのことです。--EULE 2010年1月4日 (月) 00:15 (UTC)[返信]
説明が不足してたので、誤解されてるかもしれない。私は東京福祉大学に不祥事として書くのはあまり好ましいとは思ってない。これは学校というよりも、その教員による個人的な問題だから。逆にいえば、本人の記事には除去する必然性が感じられない。同氏を恥辱させるような個人的な見解、感想、評論が書いてあるなら問題だが、事件について淡々と事実のみを記載しているだけ、人権問題とは思わない。問題なのは、本当にそれが"事実"なのかどうなのか。それを保証するのが、検証可能信頼するに足りる明確な出典の提示なわけだ。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月4日 (月) 01:59 (UTC)[返信]

Miyaさんのノートでは 「存命人物に対する名誉棄損の懸念によるものです。Wikipedia:名誉毀損#日本の事情をお読みください」[5]とも記されています。このところも欠かさずご紹介いただければ幸いです。
今ここで判例を持ち出すのは議論を拡散するだけと思いますので私のほうでは差し控えさせていただきます。EULE さんのほうでそうされることには反対はありませんが。Miyaさんが示されたようにあくまでもWikipedia:名誉毀損#日本の事情に準拠して判断するのが適切と思います。私個人に関しては弁護士であるか、法学者であるかの明言は避けます。明言しても証明の仕様がないからです。一ログインユーザーとして対応してください。--人権 2010年1月4日 (月) 09:27 (UTC)[返信]

えっと、法例(事例)を示すのは議論を拡散させるのではなく解決させると何度も言ってるのを理解されないでしょうか。逆にいえば、法令や事例を示さない法的な(もっと言えば単に法律用語を用いた)意見の方が議論を拡散させ、意味がないと言ってるんです。そしてそれをやっていたのが他でもない氏なのです。おっしゃるように、ウィキペディア上では相手が法のプロかわからないから、仮に氏が法学の権威だったとしても単なる法解釈を開陳されるだけでは困るのです。ちなみに何かと引用に出されるMiya氏は「他利用者の編集を根拠にしないで、法律、判例、もしくはウィキペディアの方針を根拠にしていただきたいと思います」と言ってます。それだけ判例を示すというのは有力な根拠になります。普通、判例を示すことは専門性をかさに煙に巻くとは思われません。
そして、Miya氏の件は、氏が「管理者がこう言っている」とその編集行為を根拠に出していることに対して私が確認を取ったというお話でそれ以上でもそれ以下でもございません。だから、Miya氏は「他利用者の編集を根拠にしない」「一利用者として」と答えているんですよ。そこが主旨ですからそれ以外を引用する必要が無い。だからMkhcan487氏がウィキペディア上のルールで話し合いましょうと言っている段階で、Wikipedia:名誉毀損#日本の事情を、人権氏が示せば何も問題は無い話なわけですよ。そういったことを拒否していたのはあなたですよ?
私の立場を勘違いされているようなので述べますが、私は今回の議論その物の主題には参加していません。Miya氏という他人の編集を根拠にしたり、法的な用語を持ち出して持論を展開していること(さらに報復依頼をしたこと)について意見してるんですよ。私は最初から人権氏の議論展開の手法について意見してるんですよ?仮に人権氏の方が正しい意見だったとしても、現状のような議論展開を続けるなら、そう言ったところを問題視されて自滅するかと予想します。--EULE 2010年1月4日 (月) 11:08 (UTC)[返信]

利用者‐会話:青子守歌さんより「たくさんのコメントをもらい、~だと言うことがわかりました。ありがとうございました。」というようなことを書けば、一応依頼としてはこれ以上のコメントが不要である、と判断されると思いますので、一番下の目立つところにでも書いておくことをおすすめします」利用者‐会話:青子守歌#お願いとのご指示を頂きました。それに習い「たくさんのコメントをもらい、本コメントを終了すすことが賢明だと言うことがわかりました。ありがとうございました。以上を持ちまして本コメントの取り下げを宣言させていただきます」とさせていただきます。以後記入はご遠慮ください。--人権 2010年1月5日 (火) 14:16 (UTC)[返信]