SCLOVER

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SCLOVER(スクローバー)は日本のプロスノーボーダーが結成したチームブランドのこと。

メンバー[編集]

結成メンバー[編集]

2015年9月DVD発売時のメンバー[編集]

元メンバー[編集]

  • 合田京介
  • 西知彦
  • 安藤正治
  • 天池いずみ
  • 戸田聖輝
  • 関智晴
  • 山本拓実
  • 江口諒

グループの歴史[編集]

1998年、東京・練馬にあるスノーボードショップ「HAMILTON(ハミルトン)(現在は閉店)」で若い3人のスノーボーダーが出会う。当時、島田聡18歳、田中暢二20歳、杉元明22歳。

最年少の島田聡は中学卒業後プロスノーボーダーになる事を決意し、高校へは進学せず、ジュニアクラスのハーフパイプ種目の大会を巡るようになる。夏場はバイトをしながら、室内ゲレンデでハーフパイプのトレーニングを積み、オリンピック強化選手に選ばれるほどであった。冬には屋根付きのホンダ・フュージョンにボードを括り付け、関越道で沼田の祖母宅に向い、路線バスに乗って群馬県の尾瀬戸倉スキー場をベースに活動。大会へ向かう時は長距離バスや電車を1人で乗り継ぎ、時にはヒッチハイクまでして会場のゲレンデを目指していた。

ショップオーナーの紹介で知り合った3人は、冬に向けて活動費を貯金する為に同じバイト先で働く事になる。雑誌Fineで紹介された、ものほし竿売りのバイトだった。自分が車の免許を取得し、車で移動するようになっていた島田聡は「移動手段の無い若手をゲレンデまで乗せて行ってあげたい。手伝ってくれないか?」と、相談する。バイク移動の体験を聞いていた田中と杉元は快く引受け、SCLOVERの原形となるハミルトンSJというチームが結成された。ハミルトンSJの名称はハミルトンに集うSuperJunior/Snowboard Juniorの頭文字から命名。

その冬、尾瀬戸倉スキー場をベースに活動した3人は、大会に参加した際に友人や知人のスノーボーダーにハミルトンSJのチームの説明をし、ステッカーを貼った若い子に力を貸して欲しいと頼みながらステッカーを配っていくが反応は鈍く、その原因が所属ショップ名が入っている事だと気づく。

1999年、チーム名をSCLOVER3 SNOWBOARDERSに変更。チーム名の由来は結成メンバーのイニシャルに全員Sが含まれていた(当時のあだ名が「さとし」「しんじ」「すぎちゃん」だった)こと、CLOVER(白詰草)が四つ葉のクローバーのように雑草の中でも好意的に受け止められていること、雑草のように踏まれても地面に根を張り、踏ん張る、生命力があるイメージなどから決められた。SCLOVER は造語であり外国人はスクローバーとは発音できず、エスクローバーと呼ばれていた。

SCLOVERはハミルトンSJを技術指導やサポートをするチームとして、また自分たちの知名度が上がることでSJの子供たちがサポートを受けやすくなるということを目的に活動を加速させていく。

また、全員が東京出身でライダー活動を終えたあとの生活の基盤を作ることを目標に「ブランド化」「起業」という目的が加わり、ライダー活動はその為の知名度アップ、ブランドイメージ形成のものと捉えるようになる。

杉元明が大学在学中に現在のロゴマークをデザイン、S・クローバー・3を融合させたデザインは現在も変わっていない。

2000年、チーム名をSCLOVER3 RIDERSと変更、アルバイト時代の同僚がバイクカスタムショップ「WHITE HOUSE」に勤務していた関係で大会用のヘルメットを蛍光グリーンに塗装し、イケイケ・やんちゃなイメージとライディングスタイルでファンを獲得。また当時のスポンサーであったFresh JiveのスノーラインFJ-GOLDにウェアデザインを提案、ブランドのメインライダーだった島田の提案を杉元がデザイン画をまとめ、メンバー全員で色を決める(蛍光イエローが島田、蛍光ブルーが田中、蛍光オレンジが杉元、のちにチームに参加する合田がブラック)。この年から杉元のウェアデザインキャリアがスタート。

この年、島田がハーフパイプでプロ資格を取得。また、スポンサー主催のワンメイク大会「猫魔ワンダーマウンテン」で杉元が有名トッププロをおさえて優勝。チームの知名度が急激に広がっていく中で、プロ制度に疑問を抱きアメリカ型の「スポンサーメーカーから契約金が発生した時点からがプロ」と強烈に意識するようになる。

島田・田中とスポンサーが同じだった合田京介がメンバーに加わる。

2001年、夏にアメリカ・Mt.Hoodのサマーキャンプに参加。ビデオフィルミングを本格的に始動する。ウェアブランド「Digital」から非セールスビデオとして『SCLOVER3 RIDERS』を発表。このMt.Hoodキャンプで石川敦士と出会い、のちにメンバー入りすることになる。当時石川は別チームに所属していたがSCLOVERの活動に将来性を感じ、チームを移籍する形でメンバー入りする事になった。