1942・愛の物語

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1942・愛の物語
1942: A Love Story
監督 ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー
脚本 サンジャイ・リーラー・バンサーリー
カンナ・チャンドラ英語版
ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー
製作 ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー
出演者 アニル・カプール
マニーシャ・コイララ
ジャッキー・シュロフ
アヌパム・カー
音楽 マノハリ・シン英語版
バブロー・チャクラボルティー
撮影 ビノード・プラダーン英語版
編集 レヌ・サルジャ英語版
製作会社 SLBフィルムズ
ヴィノード・チョープラー・プロダクション
公開 インドの旗 1994年4月15日
上映時間 157分
製作国 インドの旗 インド
言語 ヒンディー語
製作費 ₹47,500,000[1]
興行収入 ₹69,900,000[1]
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1942・愛の物語』(1942・あいのものがたり、1942: A Love Story)は、1994年インドヒンディー語恋愛映画。監督はヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーが務め、アニル・カプールマニーシャ・コイララジャッキー・シュロフアヌパム・カーダニー・デンゾンパプランブライアン・グローヴァー英語版が出演している。イギリス領インド帝国を舞台に、植民地政府の役人と独立運動家の家庭に生まれた男女の恋愛を描いている。物語のプロットはK・S・ナラシンハスワーミ英語版の詩『Mysooru Mallige』を原作とした同名のカンナダ語映画Mysore Mallige』の影響を強く受けている[2][3]。批評家からはキャストの演技やカメラワーク、R・D・ブルマン英語版(本作が遺作となった)のサウンドトラックを高く評価されている[4]

ストーリー[編集]

1942年、イギリス領インド帝国が衰退に向かっていた時代。インド人が植民地政府に従属する者と独立を目指して抵抗運動に身を投じる者に分裂していたころ、ナレーンはラッジョーと恋に落ちていた。ナレーンの父ハリ・シンは植民地政府の役人で、冷酷なダグラス将軍の配下として独立運動家の摘発・処刑を指揮していた。一方、ラッジョーの父ラグヴィールはダグラス将軍に息子を殺された恨みを晴らすため、独立運動に身を投じていた。そんな中、ナレーンがラグヴィールの元を訪れてラッジョーとの結婚を申し込むが、ラグヴィールに拒絶される。それに対し、ナレーンは「ラッジョーのために全てを捧げる覚悟がある」とラッジョーへの想いを伝え、ラグヴィールもナレーンの覚悟を認めるが、「まずは君の父に話を伝えるように」と返答する。ナレーンから話を聞いたハリ・シンは、息子が独立運動家の娘と婚約したことに激怒するが、表面上はナレーンの婚約を祝福する。

ハリ・シンはナレーンからラグヴィールの居場所を聞き出し、ビシュト少佐と植民地政府に密告する。報告を受けたインド帝国警察英語版はラグヴィールの隠れ家に突入して彼を殺そうとするが、ラグヴィールは警官たちを道連れに爆死する。外出していたラッジョーは事態を知って逃亡し、ラグヴィールの同志シュバンカルに保護され、父の遺志を受け継ぎ独立運動に身を投じるようになる。一方、ナレーンはラグヴィールを殺すために自分を利用したハリ・シンに怒りを向け、父との縁を切り独立運動に参加する。同じころ、ビシュト少佐の娘チャンダも、父がシュバンカルの師アビド・アリ・バイグを殺害する姿を目撃し、父が殺害を後悔していることを知り独立運動に参加する。

ナレーンは街中でダグラス将軍を殺そうとするが、数人の警護兵を殺したところで逮捕され、ダグラス将軍殺害未遂の罪で絞首刑を宣告される。ダグラス将軍は部隊に対して、処刑を執行する広場に集まった市民への発砲を命じ、チャンダを含む数人の市民が射殺される。そんな中、シュバンカルがナレーンを助け出し、娘を殺されたビシュト少佐が2人に協力してハリ・シンを殺害し、ダグラス将軍を旗差しで刺して重傷を負わせる。混乱の収束後、ナレーンはラッジョーと和解し、シュバンカルはダグラス将軍を絞首刑に処す。その後、ナレーン、ラッジョー、シュバンカル、ビシュト少佐は市民たちと共にインド国旗を掲げて敬礼を捧げる。

キャスト[編集]

アニル・カプール
マニーシャ・コイララ

製作[編集]

企画[編集]

脚本家の一人であるカンナ・チャンドラ英語版は、留学中の娘(タヌージャ、アヌパマ)に会うためにアメリカ合衆国を訪れた際、ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーの『Parinda』を鑑賞して感激した娘たちに「監督のために脚本を書いて欲しい」と頼まれた。彼女は『Prem Rog』『Chandni』の脚本を執筆した経験はあるが、チョープラーが得意とする「暗い映画」の執筆経験はなかったものの、娘たちに勧められてチョープラーと面会することに決めた[5]

インドに帰国後、チャンドラはナトラージ・スタジオでチョープラーと面会した。彼女は2~3のアイディアを披露し、「気に入ったものがあれば企画を進めて欲しい」と依頼し、そのうちの一つをチョープラーが気に入ったことで映画化の企画が立ち上がった。チャンドラは1年かけて脚本を完成させたが、チョープラーから「現代を舞台にしたラブストーリーは好きじゃない。別の時代に設定を変更してくれないか」と連絡を受けた。その後、彼女は幼少期に経験したインド独立運動の時代に物語を設定し直した[5]

キャスティング[編集]

当初、ナレンドラ役にはアーミル・カーンが検討されていたが、彼は出演を辞退している[6]アニル・カプールにオファーしたが、彼は出演を望まずボビー・デーオール英語版やアーミル・カーンを勧めていたが、後に出演を承諾している。彼は役作りのために減量し、髪を短くして口髭を生やした[7]。ムンナー役にはシャー・ルク・カーンが検討されていたが、別の出演作品が決まっていたため辞退している[6]ジャッキー・シュロフはシュバンカル役として出演した他、撮影セットの複数の家屋の建設費用やR・D・ブルマン英語版の作曲料などをチョープラーに代わって支払っている[5]

チョープラーはマドゥリ・ディークシットを起用することを前提にラッジョー役を作り出し、ジャーヴェード・アクタル英語版も彼女をイメージして「Ek Ladki Ko Dekha To」を作詞していた[6]。しかし、ディークシットはスケジュールの都合で出演することができず、代わりにラッジョーの妹役のオーディションを受けていたマニーシャ・コイララがラージョー役のテストを受けることになった(妹役は最終的に脚本からカットされた)[6]。コイララの演技を見たチョープラーは、彼女を「ひどい女優」と判断して不採用にしようとするが、コイララは「もう一度チャンスを下さい」と懇願し、翌日テストを受け直してラッジョー役に採用された[8]。コイララの他にアシュウィニー・バーヴ英語版もオーディションを受けていたが、彼女はその場で不採用になっている[9]

ラグヴィール役には『Parinda』でチョープラー監督作品に出演経験のあるナーナー・パテーカルが起用されたが、彼はシュバンカル役を熱望していたためチョープラーと衝突したため、アヌパム・カーが代わりに起用された。1991年公開のアニル主演作『Lamhe』が興行的に失敗したため、弟のサンジャイ・カプール英語版が代わりに出演するという噂が流れたが、最終的には当初の予定通りにアニルが出演している[9]

撮影[編集]

主要撮影ヒマーチャル・プラデーシュ州チャンバ県英語版ダルフージー英語版カジアル英語版カラトップ・カジアル・サンクチュアリ英語版で行われた[9]。また、現地にスタッフ・キャストを集めるコスト削減のため、美術監督のニティン・チャンドラカント・デサイ英語版が800万ルピーかけてフィルムシティにダルフージーを模した撮影セットを作り、そこで撮影を行っている。デサイによると、周囲の人間はチョープラーに「新人のデサイに任せないように」と進言していたが、チョープラーは意に介さず全幅の信頼を寄せてくれたという[5]

音楽[編集]

映画音楽の作曲はマノハリ・シン英語版とバブロー・チャクラボルティーが手掛けた。楽曲の作曲はR・D・バーマン、作詞はジャーヴェード・アクタルが手掛けている。

トラックリスト
#タイトル作詞作曲・編曲歌手時間
1.「Pyar Hua Chupke Se」  カヴィタ・クリシュナムルティ英語版
2.「Rimjhim Rimjhim Rumjhum Rumjhum」  カヴィタ・クリシュナムルティ、クマール・サーヌー英語版
3.「Ek Ladki Ko Dekha」  クマール・サーヌー
4.「Rooth Na Jana」  クマール・サーヌー
5.「Kuch Na Kaho」(Happy)  クマール・サーヌー
6.「Kuch Na Kaho」(Sad)  ラタ・マンゲシュカル
7.「Yeh Safar」  シヴァージ・チャテルジー英語版
合計時間:

公開[編集]

1994年4月15日に公開された[10]。試写会に招待されたアミターブ・バッチャンはチョープラーの努力に対して祝福の声をかけている[11]

受賞・ノミネート[編集]

映画賞 部門 対象 結果 出典
第40回フィルムフェア賞英語版 作品賞英語版 ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー ノミネート [12]
[13]
監督賞
主演男優賞 アニル・カプール
主演女優賞英語版 マニーシャ・コイララ
助演男優賞英語版 ジャッキー・シュロフ 受賞
音楽監督賞英語版 R・D・ブルマン
作詞家賞英語版 クマール・サーヌー「Ek Ladki Ko Dekha」
女性プレイバックシンガー賞英語版 カヴィタ・クリシュナムルティー「Pyaar Hua Chupke Se」
美術賞英語版 ニティン・チャンドラカント・デサイ
撮影賞英語版 ビノード・プラダーン
編集賞英語版 レヌ・サルジャ英語版
音響デザイン賞英語版 ジーテンドラ・チョードリー、ナミタ・ナヤク
スター・スクリーン・アワード 助演男優賞英語版 アヌパム・カー [14]
音楽監督賞英語版 R・D・バーマン
作詞家賞英語版 ジャーヴェード・アクタル「Ek Ladki Ko Dekha To」
男性プレイバックシンガー賞英語版 クマール・サーヌー「Ek Ladki Ko Dekha To」
美術監督賞 ニティン・チャンドラカント・デサイ
撮影賞英語版 ビノード・プラダーン
音響賞 ジーテンドラ・チョードリー、ナミタ・ナヤク

出典[編集]

  1. ^ a b 1942: A Love Story (1994)”. Box office India. 2016年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月9日閲覧。
  2. ^ Contributions of Kannada Cinema to Historical Dramas”. prekshaa.in. 2018年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月10日閲覧。
  3. ^ ಕನ್ನಡದ ಅನನ್ಯ 'ಪ್ರೇಮಕವಿ'”. 2022年11月17日閲覧。
  4. ^ Chandra, Anupama (1994年6月15日). “Soundtrack of '1942: A Love Story' marks the revival of romance, poetry in Hindi film music” (英語). India Today. 2022年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月8日閲覧。
  5. ^ a b c d Movies: How 1942 A Love Story was made” (英語). Rediff.com (2012年4月4日). 2021年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月8日閲覧。
  6. ^ a b c d शुक्ल, पंकज (2021年4月15日). “Bioscope S2: शाहरुख के लिए सोचा गया था '1942 ए लव स्टोरी' में ये वाला रोल, ऐसे हुई मनीषा की एंट्री” [Bioscope S2: This role in '1942 A Love Story' was thought for Shah Rukh; Manisha's entry happened in this way] (ヒンディー語). Amar Ujala. 2021年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月6日閲覧。
  7. ^ Bhasin, Shriya (2019年11月4日). “Anil Kapoor reveals why he initially refused '1942: A Love Story'” (英語). India TV. 2019年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
  8. ^ When Manisha Koirala Almost Got Rejected for '1942: A Love Story'” (英語). The Quint (2019年1月3日). 2019年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月9日閲覧。
  9. ^ a b c Revisiting 1942: A Love Story – 42 interesting facts about the epic romance” (英語). Cinema Express (2020年12月6日). 2022年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月9日閲覧。
  10. ^ Roy Chowdhury, Rishita (2021年4月15日). “Anil Kapoor celebrates 27 years of 1942: A Love Story” (英語). India Today. 2021年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月4日閲覧。
  11. ^ Agarwal, Amit (1993年5月31日). “Commercial, but not cliched” (英語). India Today. 2022年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月9日閲覧。
  12. ^ “40th Filmfare Awards 1995 Nominations”. Indian Times. The Times Group. オリジナルの2007年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070708210420/http://filmfareawards.indiatimes.com/articleshow/articleshow/368622.cms 2021年6月24日閲覧。 
  13. ^ “40th Filmfare Awards 1995 Winners”. Indian Times. The Times Group. オリジナルの2007年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070708210526/http://filmfareawards.indiatimes.com/articleshow/368623.cms 2021年6月24日閲覧。 
  14. ^ “Screen Award winners for the year 1994 are”. Screen India. Indian Express Limited. オリジナルの2002年1月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20020116211217/http://www.screenindia.com/screenawards/award94.html 2021年6月24日閲覧。 

外部リンク[編集]