鈴振り

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鈴振り(すずふり)は、落語の演目の一つ。原話は、松浦静山文政4年(1821年)に出版した随筆、『甲子夜話』。

あらすじ[編集]

舞台は藤沢遊行寺というお寺。次代の大僧正(住職)を決めることになったが、何しろ弟子の数が多いため誰に決めたらいいか分からない。

困った当代の大僧正は、側近たちとの協議の末、とんでもない方法を思いついた。

さて…次期大僧正を決める当日。各地から集まったお坊さんで客殿が畑みたいになる中、大僧正の側近が登場。

そして坊さんたちの前をまくり、下の方にぶらぶらしている何かに紐が付いた小さな鈴を結びつけた。

不審に思いながらも本堂に入り、待っていると御簾内からお有り難い大僧正の声。

「吉例吉日たるによって、御酒魚類を食することを許す」

『お寺で酒?』と弟子たちが目を丸くしていると、なんとお酌に絶世の美女がずらりと並んで入ってくる。

実は、入ってきたのは柳橋あたりの遊郭から厳選してきた芸者さん。大僧正の真意に気づいた弟子たちは、必死になって坐禅を組み、気を鎮めようとした。

南無阿弥陀仏、ナンマイダブ…」

「これ、ちょいと」

芸者がしなだれかかって来た。慌ててももう遅い。腰のあたりで鈴がチリーン!

気がつけば、あちこちで鈴の音が鳴り響き、本堂は秋の草原のようになってしまった。

「何たることか。仏法も終わりじゃ…」

そんな様子を御簾内から眺め、大僧正は倒れそうになってしまう。だが、よくみると本堂の隅、若い坊さんが涼しい顔で念仏を唱えていた。

耳を澄ますと、彼の腰からだけは鈴の音が聞こえてこない!

「彼こそがわしの後継者である!」

感涙にむせび、大僧正がその坊さんを呼びつけ、裾をめくると何故か鈴が付いていない。

「鈴はどうした?」

「はい、とっくに振り切りました」

概要[編集]

原話では、五戒の一つである『邪淫戒』の試験として鈴を使い、弟子が全員失格になった後で師匠の様子をみると、師匠が真っ先に失格になっていたことが判明するというもの。

いわゆる艶笑噺(えんしょうばなし)[注釈 1]と呼ばれるもので一段格下に見られる傾向はあるが、なかなか面白い内容であり、川柳などにもこれを元ネタとしたものが登場した。

なお、大本は中国の代に書かれた笑話本笑府』だと言われているが、明和五年(1768年)に江戸で出版された須原屋半兵衛板にのみ原話とおぼしき話が収められている [注釈 2]。 一方、現存するものでは確認できていない[3]

艶笑噺というものの性質上、名だたる落語家による口演の録音・録画の記録などは少ないが、知られるところでは五代目古今亭志ん生の録音が幾つか残されている。志ん生は、高座や落語会などにおいて、主に事務方の調整ミスなどにより当日の高座や会で複数の落語家の噺の傾向が被ってしまう[注釈 3]、落語業界では「出し物がつく」という禁忌とされる状態になってしまった際などに、その場の判断で噺を差し替えて、手持ちの噺の中からこれを選んで口演したことがある。志ん生自身もマクラで「放送などでは絶対にやれない」と観客に予め断りを入れつつも、楽しそうに演じている。

主な演者[編集]

物故者[編集]

現役[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ バレ噺とも言う。 [1]
  2. ^ 原話と思われるものは鈴ではなく、勃起した一物で太鼓が鳴る仕組みになっており、僧は一物で太鼓を突き破っていたというオチ。 [2]
  3. ^ 一例を挙げれば、『禁酒番屋』『佐々木政談』『大工調べ』『鹿政談』と、武士奉行の類が出てくる噺ばかりがやたら並んでしまう、といった状況である。

出典[編集]

  1. ^ 長井好弘冬晴れの週末、昼下がりの「バレ噺」』 2021年1月22日 読売新聞オンライン
  2. ^ 駒田信二編訳『中国笑話集』pp.188-189
  3. ^ 駒田信二『前掲書』p.419

参考[編集]