金原二郎ショー

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金原二郎ショー
ジャンル ワイドショー
出演者 金原二郎
宮崎恭子
河内桃子
野添ひとみ
福留功男
酒井幸雄
田英夫
製作
制作 日本テレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
75分番組時代
放送期間1970年10月5日 - 1971年4月2日
放送時間平日 9:30 - 10:45
放送枠日本テレビ系列平日午前のワイドショー枠
放送分75分
85分番組時代
放送期間1971年4月5日 - 1972年3月31日
放送時間平日 9:00 - 10:25
放送枠日本テレビ系列平日午前のワイドショー枠
放送分85分
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金原二郎ショー』(きんばらじろうショー)は、1970年10月5日から1972年3月31日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作の朝のワイドショーである。

概要[編集]

奥さまハプニングサロン』と『朝のワイドショー ○○と90分』に続く日本テレビ朝のワイドショーの第3弾。過去の2番組が司会者が日替わりだったのに対し、当時『底ぬけ脱線ゲーム』の司会で人気を上げていた金原二郎を一貫した司会者に起用。現職の局アナウンサーを起用するのは、民放では本番組が初だった。

当初は過去の2番組と同じくモノクロ映像だったが、1971年4月の改編で放送開始時刻を30分早めた際にカラー放送へと移行した。

放送時間[編集]

いずれも日本標準時

  • 平日 9:30 - 10:45 (1970年10月5日 - 1971年4月2日)
  • 平日 9:00 - 10:25 (1971年4月5日 - 1972年3月31日)

出演者[編集]

司会[編集]

アシスタント[編集]

ニュースキャスター[編集]

  • 酒井幸雄
  • 田英夫(1971年8月3日から火・木に出演)[1]

エピソード[編集]

1971年4月、最高裁で罷免された司法修習生・阪口徳雄と母親をゲストに招くコーナーが前日になって「阪口さんを出すなら、最高裁の判事を出さなければ公正ではない。しかしそれはできないし、素材としてまずい。」という阿木制作本部長の指示で中止になった[2]

参考文献[編集]

  • 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、484 - 489頁。NDLJP:11954641/258 

脚注[編集]

  1. ^ 「放送デスクメモ」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第52号、日本マスコミ市民会議、1971年9月1日、62 - 63頁、NDLJP:3463713/33 
  2. ^ 『テレビ放送中止事件』岩波ブックレット、1994年、29頁。 
日本テレビ系列 平日午前のワイドショー
前番組 番組名 次番組
朝のワイドショー ○○と90分
(1970年3月30日 - 1970年10月2日)
金原二郎ショー
(1970年10月5日 - 1972年3月31日)
あなたのワイドショー
(1972年4月3日 - 1977年4月1日)
日本テレビ 平日9:00枠
ドラマ再放送枠
【平日10:30枠へ移動】
金原二郎ショー
(1971年4月5日 - 1972年3月31日)
【1971年4月新設】
奥さまドラマシリーズ
【平日10:30枠から移動】
日本テレビ 平日9:30枠
朝のワイドショー ○○と90分
(1970年3月30日 - 1970年10月2日)
※9:30 - 11:00
金原二郎ショー
(1970年10月5日 - 1972年3月31日)
あなたのワイドショー
(1972年4月3日 - 1977年4月1日)
※9:30 - 10:55
日本テレビ 平日10:25枠
朝のワイドショー ○○と90分
(1970年3月30日 - 1970年10月2日)
※9:30 - 11:00
金原二郎ショー
(1970年10月5日 - 1971年4月2日)
【1971年4月廃枠】
左幸子の赤ちゃんレポート
※10:25 - 10:30
ドラマ再放送枠
※10:30 - 11:00
【平日9:00枠から移動】