若山与吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若山 与吉(わかやま よきち、生没年不詳)は、現在の東京都(当時武蔵国東京府東京市)出身[1]佐渡ヶ嶽部屋に所属した元力士。本名は山口 与吉。身長体重共に不明。最高位は東前頭9枚目。

1872年11月初土俵(序ノ口)。1882年1月新十両[2](二段目9枚目となり十両相当となった[2])。十両では3場所連続で勝ち越し、1883年5月新入幕。しかし、その場所中に、根津の八幡楼(根津遊廓にあった店[3])の養子になったため、3日目より休業。将来を嘱望されていたが、遊郭屋の養子とあってはイメージが悪く結局そのまま廃業した。廃業後の消息は不明である(根津遊廓自体、1888年に風紀上の理由〈東京帝国大学の近所だったという理由〉により洲崎(現・江東区東陽)に移転したため店の記録も残っていない)。

幕内通算1場所 1勝1敗8休の成績を残した[2]。優勝相当成績1回(十両時代の1882年6月場所〈7勝2敗〉)。

改名歴なし[2]

出典[編集]