米本図書館

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米本図書館
施設情報
専門分野 並木栗水、短歌
事業主体 一般財団法人米本図書館
管理運営 一般財団法人米本図書館
延床面積 286[1] m2
開館 1907年明治40年8月15日
所在地 289-2313
千葉県香取郡多古町次浦1827番地
ISIL JP-1000906
館長 米本允信[2]
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米本図書館(よねもととしょかん)は千葉県香取郡多古町にある私立図書館である。 1907年明治40年[3][4][注釈 1]8月15日に米本信吾によって設立された[5]。千葉県内では6番目に古い図書館とされる[5][6]

沿革[編集]

米本信吾が千葉県千葉中学校在学中、同校の校長である由比質[注釈 2]に図書館を設立することを勧められた[6]。千葉中学校卒業後、信吾は家業を継ぎ実家に戻ったが、24歳の時米本図書館を設立した。 設立趣意書には、日露戦争の勝利によって奢侈に耽る日本の状況を憂い、読書により山間僻陬の地で文化や教育を振興する必要性を述べている。設立約1年後の所蔵資料は和漢書1660冊、洋書42冊、雑誌800冊だった[6]

1950年昭和25年)、図書館法の制定により図書館の運営を財団法人で行うこととした[7]。なお、財源はすべて米本家の寄付による[6]

1957年昭和32年)4月に短歌図書館を附属として設置した[6]

館長[編集]

初代館長、米本信吾[編集]

米本信吾は1883年明治16年[注釈 3]3月6日、香取郡久賀村(現多古町)の農家の長男として生まれ、1904年明治37年)3月千葉県千葉中学校を卒業した。24歳で米本図書館を開館し、館長となった。1950年に図書館の運営主体が財団法人となると、信吾は理事長兼館長となった[7]。 図書館長として以外に、香取郡書記、郡会議員、三等郵便局長、公選初代久賀村長となった[1][8]。久賀村長は1947年4月から1949年4月まで務めた。[9]また菅澤重雄とともに東京成徳学園の前身である王子高等女学校[10]の設置者となった[11]。 文人でもあり、観水堂旭甫に師事、俳号は旭窓と号した。師の名跡を継いで、河東碧梧桐と平山独木の指導を受け、原人社の同人になっている[1]。 信吾は紫綬褒章を受け、昭和37年12月には多古町主催の紫綬褒章受賞祝賀会が行われている[7]。また、1965年(昭和40年)には生存者叙勲により勲5等に叙され、瑞宝章を賜っている[12]。1968年(昭和43年)没[13][5]

2代目館長、米本重信[編集]

2代目の館長兼理事となったのは、信吾の息子、米本重信である。重信は信吾から引き継ぎ、1947年(昭和22年)久賀の特定郵便局長となったのち、郵便局舎を新設し、これまで局舎として使用していた自宅の長屋門に吉植庄亮記念館を併設した[14]。重信は歌人としても活動し、吉植庄亮が1922年(大正11年)に創刊した歌誌「橄欖」に参加した。当時重信は旧制佐原中学校の生徒だった。昭和7年には「橄欖」同人、その後運営委員や選者として活動し、顧問にもなった。また重信は多古町教育委員長も務めた。1979年(昭和54年)の秋の叙勲で勲5等双光旭日章を受章。1997年(平成9年)7月8日没[15]

コレクション[編集]

当初、地域の教育を振興するための私立図書館として設立された米本図書館だが、2つのコレクションを持つことから、専門図書館としての機能も持っている[6]

並木栗水文庫[編集]

1916年大正5年)、多古町出身の儒学者並木栗水の没後、著書や蔵書約2,000冊を同館の附属文庫とした[6][16]

短歌図書館[編集]

1957年に附属された短歌図書館には千葉県出身の歌人吉植庄亮の著書や歌誌「橄欖」などを中心とした大正時代から昭和時代の短歌に関する文献を集めている。ほかにも佐々木信綱斎藤茂吉島木赤彦与謝野晶子若山牧水平福百穂土岐善麿高浜虚子河東碧梧桐久保田万太郎らの半折や色紙、短冊等650点を所蔵している[6]

建物[編集]

木造2階建の洋館で、初代館長の私財により建てられた[4]。敷地内には吉植庄亮及び米本重信の歌碑がある[13]


利用案内 [編集]

図書の貸出は行っておらず、予約をした上で資料を閲覧できる[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『多古町名所百選』p17では、明治42年創立とあるが、官報には1907年(明治40年)に掲載されているため、1907年(明治40年)設立とした。
  2. ^ 『千葉県の歴史通巻第22号』p74では、由比質に図書館設立を勧められたとあるが、『千葉県図書館史』には吉田賢竜に勧められたと書かれ、更に『歴史ウォッチング多古 ふるさと文化財探訪』には菅又態之助とある。由比質の千葉中学校の在任期間と信吾の卒業年(1904年)から、ここでは由比質とした。
  3. ^ 『千葉県図書館史』p397では、明治19年とあるが、他の文献は明治16年としているため、明治16年を採用した。

出典[編集]

  1. ^ a b c 多古町史.
  2. ^ a b 東部図書館.
  3. ^ 告示第251号.
  4. ^ a b 多古町教育委員会2020.
  5. ^ a b c 多古町1990.
  6. ^ a b c d e f g h 千葉県1981.
  7. ^ a b c 県立中央図書館, p. 400.
  8. ^ 多古町教育委員会『歴史ウォッチング多古 ふるさと文化財探訪』千葉県香取郡多古町、1990年3月31日、59頁。 
  9. ^ 多古町史, p. 33.
  10. ^ 東京成徳広報学園創立90年特別号” (PDF). 学校法人東京成徳学園 (2015年11月26日). 2021年11月6日閲覧。
  11. ^ 「文部省告示第313号」『官報. 1931年10月27日』第1449号。 
  12. ^ 県立中央図書館, p. 25.
  13. ^ a b 多古町教育委員会2006.
  14. ^ 多古町役場 総務課『多古町町勢要覧 合併50周年記念特別編集版 3.データファイル&施設ガイド』多古町、2004年3月、20頁。 
  15. ^ 市原正夫 (1997年7月17日). “3つの顔に教養と誇り 米本重信さんをしのぶ”. 千葉日報社: p. 8 
  16. ^ 県立中央図書館, p. 399.

参考文献[編集]

  • 多古町史編さん委員会『多古町史 上巻』多古町、1985年7月1日、414-416頁。 
  • 知識は旅をする 第48号” (PDF). 千葉県立東部図書館. 2021年11月6日閲覧。
  • 「文部省告示第251号」『官報.1907年09月25日』第7273号6。 
  • 『多古町ぶらり散歩<多古・中村・常磐・久賀地区>』多古町教育委員会、2020年3月31日、62頁。 
  • 多古町教育委員会『歴史ウォッチング多古 ふるさと文化財探訪』千葉県香取郡多古町、1990年3月31日、59頁。 
  • 「<紹介> 財団法人米本図書館」『千葉県の歴史』第22号。 
  • 『多古町名所百選』多古町教育委員会、2006年3月、17頁。 
  • 千葉県図書館史編纂委員会『千葉県図書館史』千葉県立中央図書館、1968年9月12日、399頁。 

関連項目[編集]