第42集団軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

第42集団軍第42集团军)とは、中国人民解放軍陸軍の軍級部隊。乙類集団軍。広州軍区に所属する。台湾解放作戦時、南翼の主攻部隊となることを想定されている。

歴史[編集]

第42集団軍は、比較的歴史が浅い部隊であり、1948年に編成された東北野戦軍第5縦隊を前身とする。同部隊は、全野戦軍中、唯一の「第5」縦隊だった(当時、「第5」の序数は、第五列スパイ)を示唆するものとして忌避されていた)。編成後、遼沈、平津戦役に参加。遼沈戦役中、280kmを強行軍して廖耀湘兵団の退路を遮断し、1万7千人の敵兵を撃滅し、第1軍軍長文小山中将を捕虜にした。全軍の南下時は、河南に留まり、残敵掃討に従事した。

1950年、チチハルに移動。朝鮮戦争勃発時、第13兵団に編入され、朝鮮半島に進入した。第1次戦役中、配下の第124師は、単独で黄草嶺地区においてアメリカ第1海兵師団を阻止し、援護任務を遂行した。第2次戦役では、第38軍と共に浸透作戦を遂行したが、敵軍を捕捉することに失敗した(ちなみに、第38軍はこれに成功し、「万歳軍」の名誉称号を授与された)。第3次戦役中、第66軍と共に38度線を突破して、韓国陸軍第5師団、第7師団を撃滅し、中国人民志願軍総部から賞賛された。第3次戦役終結後、配下の第124師は、志願軍最良の3個師団の1つとして賞賛された(他の2個師団は、第38軍第113師と第39軍第116師)。1952年の帰国時、金日成首相自らが見送り、北京到達時には朱徳総司令自らが出迎えた。

帰国後、華南に駐屯し、中華民国軍の大陸反攻に備えた。1979年の中越戦争時、東部の主攻部隊となり、諒山を攻撃し、ベトナム軍最精鋭の第308歩兵師団の防衛線を突破した。

1980年代の軍縮時、広州軍区内に快速反応部隊である第15空降軍が配備され、第42集団軍は乙類とされた。しかしながら、1996年の台湾海峡危機後、中国共産党中央軍事委員会により再び重要視され、甲類に準じた重装備が配備されるようになった。現在、第15空降軍との協同による空挺訓練、南海艦隊との協同による上陸作戦演習に参加している。

編制[編集]

軍部(司令部)は、広東省恵州に位置する。

  • 第124機械化師団(広東省博羅長寧)
  • 第163自動化歩兵師団(広東省潮州)
  • 第1砲兵師団(韶関市曲江県城馬填鎮) - 導砲旅に改編?
  • 第9装甲旅団(広東省花都)
  • 防空旅団(広東省潮州)
  • 第6陸軍航空連隊(広東省佛山三水)
  • 電子対抗連隊(広東省広州花都)
  • 通信連隊(広東省恵阳鎮隆鎮)
  • 工兵連隊(広東省恵陽)
  • 化学防護連隊(広東省深圳市平湖鎮)
  • 教導大隊(広東省恵州)
  • 司訓大隊(広東省東莞黄江鎮)
  • 特種大隊(広東省広州天河)

歴代軍長[編集]

第42集団軍軍長
職名 氏名 階級 在任期間 出身校 前職
軍長 劉鎮武 少将 1992年7月 - 1994年4月 第42集団軍副軍長
軍長 劉粤軍 少将
第42集団軍政治委員
職名 氏名 階級 在任期間 出身校 前職
政治委員 岳世鑫 少将