福地信之介

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福地 信之介(ふくち しんのすけ、嘉永2年(1849年) - 慶応3年9月5日1867年10月2日))は、江戸時代後期の水戸藩士幕末尊皇志士靖国神社祭神仮名は信之介。は道忠。

生涯[編集]

水戸藩士・福地政次郎の四男として生まれる。母は福地弥寿子[1]。慶応3年(1867年)9月5日、武蔵国忍藩で獄死する。享年19。維新後、靖国神社に祀られる[2]

脚注[編集]

  1. ^ 福地信之介ら親子の系譜及び事績については太田亮著、上田萬年三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店1934年)5166頁にも記載あり。
  2. ^ 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社1986年) 367頁参照。

参照文献[編集]

  • 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)
  • 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)

関連項目[編集]