禅寺丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
禅寺丸柿から転送)
移動: 案内検索
ゼンジマル
Ozen-ji zenjimaru genboku.jpg
禅寺丸原木
分類
: 植物界 Plantae
: 被子植物門 Magnoliophyta
: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
: カキノキ目 Ebenales
: カキノキ科 Ebenaceae
: カキノキ属 Diospyros
: カキノキ kaki
品種 : ゼンジマル
学名
Diospyros kaki 'Zenjimaru'
和名
ゼンジマル(禅寺丸)

禅寺丸柿(ぜんじまるがき)とは、 川崎市麻生区原産の品種である[1]。 別名、王禅寺丸柿。不完全甘柿。日本最古の甘柿の品種と言われている[1]

特徴[編集]

全体的に丸みを帯びており、小ぶり。果肉には木目状の斑点がある。小ぶりの割りに種が大きく、果肉部分が少ない。

歴史・概要[編集]

鎌倉時代の1214年(建保2)に、川崎市麻生区にある星宿山蓮華院王禅寺の山中で自生しているものを偶然に発見したとされる[1]。 それまで日本各地の柿木は全て渋柿のものであり、甘柿の存在は知られておらず、日本で最初の甘柿として位置づけられている[1]

1333年元弘3)年同寺は新田義貞の鎌倉攻めの兵火で焼失した。 それを受けて、朝廷の命で再建にあたることになった等海上人が、1370年(応安3年)に柿の熟しているのを見つけ、あまりにも美味であったため、持ち帰り、村人に接木をして栽培させるとともに、近隣にも栽培を広めた[1]

明治末から昭和初期が最盛期で、1921年(大正10年)には938トンが生産された。

1932年昭和7年)には柿生地区だけで約9,000本が栽培されていた[2]

名古屋方面まで出荷されたが、新品種の富有などが市場に出回ると、新品種の方が甘みがあり、種も少なく、実が大きいことなどの理由から、昭和40年代の後半ごろから市場から姿を消してしまった。

1990年平成2年)に「柿生村」誕生100周年を記念して地元柿生地区の町内会などで保存・栽培を目指す意見が出て、1995年(平成7年)に地元の農家など約170軒で「柿生禅寺丸柿保存会」が発足し、保存・栽培に乗り出した[1]

この1995年(平成7年)時点では柿生地区では、2,779本で約63トンの実を収穫した[2]

しかし、「柿生禅寺丸柿保存会」の活動開始後も本数は減少し、2004年(平成16年)の調査では2,202本にまで減少している[2]

その一方で、保存運動の一環として、1997年(平成9年)には山梨県のワイナリーに委託して「禅寺丸柿ワイン」を発売し、影響を受けた柿生地区の和洋菓子店で「禅寺丸の柿ワインケーキ」や「柿っ娘」などの「柿生禅寺丸柿」を用いた菓子が発売されるようになった[2]

2007年(平成19年)には川崎市麻生区内の禅寺丸柿の木7本が文化庁登録記念物として指定された[3]

収量が不安定な状況が続いていることから市場を通した流通は2014年(平成26年)時点では行われておらず、地元の農協直売所柿生駅前の八百屋などで販売されている[1]

沿革[編集]

  • 1214年建保2年) - 王禅寺にて偶然に発見される[1]
  • 1370年応安3年) - 等海上人が、村人に接ぎ木で栽培させるとともに、近隣にも栽培を広めた[1]
  • 1648年慶安元年) - 江戸に出荷され始めた。美味で豊産のため栽培者が増加し、栽植が広まった。
  • 1889年明治22年) - 町村制度実施により周辺の各村が合併した際、「柿が生まれた村」ということで、村名を柿生村とした。(1939年(昭和14年)に川崎市に編入され柿生村はなくなったが、柿生駅は残っている。)
  • 1909年明治42年)10月 - 森七郎栽培の禅寺丸が明治天皇に献上された。
  • 2000年平成12年)10月 - 禅寺丸柿発祥記念祭を開催し、同寺境内の原木(樹齢約450年、伝承)の前に記念碑を建立した。
  • 2007年(平成19年)7月26日 - 登録記念物として登録され、保護措置がとられることとなった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 尾中香尚里(2014年10月19日). “食べる・つながる:禅寺丸柿/上 「日本最古の甘柿」説も”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  2. ^ a b c d 尾中香尚里(2014年10月26日). “食べる・つながる:禅寺丸柿/下 柿を原料にワイン作り”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  3. ^ 尾中香尚里(2014年10月22日). “禅寺丸柿:発見800年祝う 川崎でイベント”. 毎日新聞 (毎日新聞社)

外部リンク[編集]