畢桂芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
畢桂芳
プロフィール
出生: 1865年
死去: 不詳
出身地: 直隷省順天府大興県
(現:北京市大興区
職業: 政治家・外交官
各種表記
繁体字 畢 桂芳
簡体字 毕 桂芳
拼音 Bì Guìfāng
ラテン字 Pi Kui-fang
和名表記: ひつ けいほう
発音転記: ビー グイファン
テンプレートを表示

畢 桂芳(ひつ けいほう、1865年同治4年〉 - 没年不詳)は、清末民初の政治家・外交官。旗人。清朝、北京政府の政治家で、北方外交を専門としたほか、黒竜江省で都督・督軍などをつとめた。植忱植承

事跡[編集]

北京同文館を卒業後にロシアに留学した。帰国後は、駐ロシア公使館随員、直隷知州、北洋洋務局随弁、東三省議約随員、駐ウラジオストク(浦塩)弁理交渉商務員、ホブド(科布多)弁事大臣を歴任した。

1912年民国元年)5月、駐タルバガタイ(塔爾巴哈台)参賛に任命された。1913年(民国2年)7月、護理黒竜江都督兼民政長に任命されている。同年10月、総統府高等外交顧問として召還された。1915年(民国4年)9月、正藍旗蒙古都統。

1916年(民国5年)5月、署鎮安右将軍となる。翌月、黒竜江将軍兼巡按使(翌月に将軍は督軍と改称)に任命された。しかし1917年(民国6年)7月、奉天派軍人の許蘭洲から軍事的圧力を受けて下野に追い込まれた。

1918年(民国7年)9月、安福国会で参議院議員に任じられる。後に、大総統府高等軍事顧問に任命された。1927年(民国16年)、顧維鈞潘復の両内閣で賑務督弁を務めた。

以後、畢桂芳の行方は不詳である。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
中華民国の旗 中華民国
先代
宋小濂
黒竜江都督(護理)
1913年7月 - 10月
次代
朱慶瀾(黒竜江護軍使)
先代
朱慶瀾
黒竜江将軍
1916年5月 - 6月
次代
(督軍に改称)
先代
(将軍から改称)
黒竜江督軍
1916年7月 - 1917年7月
次代
鮑貴卿