田久保裕一

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田久保 裕一(たくぼ ゆういち)は、日本の指揮者千葉県習志野市秋津在住[1]

略歴[編集]

船橋市立前原小学校在学中の4年生の時より同校の合奏クラブに所属した。高校はオーケストラの部活がある千葉県立船橋高等学校に進学。船橋高校在学中に指揮を始める[1]。高校2年生のときに、小学校の合奏グラブのOBらと集まり「ウインドミル・オーケストラ」というアマチュアオーケストラを創設し、指揮者と初代団長に就任する[1]

東京学芸大学音楽科卒業[2]伊藤栄一に師事。音大卒業後は1980-1992年まで小中学校の音楽教師を務めながらアマチュアオーケストラの指揮を続けた[1]。1988年、田久保が30歳のときに母親が死去[1]。母の死去を転機に、「人生どうなるか判らない」と悟り[1]、1992年に教師を退職しプロ指揮者となる[1]。当時35歳であった。

1994年11月、ルーマニア・ブラショフ市で開催された第4回「ディヌ・ニクレスク」国際指揮者コンクールでグランプリを受賞する[1][3][4]。また審査員特別賞「ルーマニア現代音楽演奏賞」と聴衆特別賞も同時に受賞した。同コンクールで優勝するのは日本人として初[1]

1999年には日本人指揮者として初めてカザフスタンに招かれ[4]、旧首都アルマトイ市で開催される記念行事「アックジョール2030」で、同市立オーケストラを指揮した[4]

スロヴァキア放送交響楽団・ルーマニア室内管弦楽団・広島交響楽団新星日本交響楽団東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団京都市交響楽団といった主要オーケストラで指揮経験を持つ。チェロを演奏することも出来、1000人のチェロ・コンサートでは度々指揮と指導を務めている。

現在は全国で後進の指導にもあたっている。 また、京都等において指揮者講習会も 開いている。

特記事項[編集]

  • 「ウインドミル・オーケストラ」は、2019年現在も活動を続けている。
  • フリーの指揮者として活動することが多く、年の半分近くは各地の演奏会で指揮をする[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 母校とわたし:県立船橋高校/2 指揮者・田久保裕一さん /千葉 毎日新聞 2005.01.20 地方版/千葉 22頁 写図有 (全1,342字)
  2. ^ ディヌ=クレスク国際指揮者コンクール 田久保裕一氏と清水宏之氏が優勝分ける 1994.11.28 読売新聞 東京夕刊 15頁 (全109字)
  3. ^ 仙台市民交響楽団の定期演奏会、指揮は田久保裕一/13日、仙台で 1999.06.07 河北新報記事情報 (全387字) 
  4. ^ a b c 習志野・田久保裕一さん、異国の地で初タクト--カザフスタン・アルマトイ /千葉 毎日新聞 1999.05.25 地方版/千葉 写図有 (全686字)