玉津岡神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉津岡神社

境内
所在地 京都府綴喜郡井手町井出東垣内63
位置 北緯34度48分15.1秒 東経135度49分11.5秒 / 北緯34.804194度 東経135.819861度 / 34.804194; 135.819861 (玉津岡神社)座標: 北緯34度48分15.1秒 東経135度49分11.5秒 / 北緯34.804194度 東経135.819861度 / 34.804194; 135.819861 (玉津岡神社)
主祭神 下照比賣命
社格郷社
例祭 4月3日・10月16日
地図
玉津岡神社の位置(京都府内)
玉津岡神社
玉津岡神社
テンプレートを表示
境内入り口

玉津岡神社(たまつおかじんじゃ)は、京都府綴喜郡井手町にある神社旧社格郷社

祭神[編集]

祭神は次の通り[1]

主祭神
大神
玉津岡六柱の大神[2]

歴史[編集]

欽明天皇元年(540年)、玉津岡の南に下照比賣命が降臨、そこでお祭りをした「玉岡の社」が玉津岡神社の起源。「玉岡の社」は「玉岡春日社」、江戸時代に「八王子社」と称号を変え、現在は玉津岡神社となる。1878年(明治11年)には、八王子社(玉津岡鎮座)、春日社(西垣内鎮座)、田中社(宮の前鎮座)、八阪社(西前田鎮座)、天神社(玉の井鎮座)の五社が八王子社殿(玉岡の社)に合祭している。天神社(玉の井鎮座)は椋本天神社を移したもので、その創祀は天平3年(731年)9月であり、創祀者は橘諸兄公とされる[1]。境内には橘諸兄とその一族の一人楠木正成公を合祭した橘神社がある。また玉津岡神社の社紋は「流れ山吹」であるが、これは楠木正成の家紋「菊水」と同じものともされている。ちなみに主神の下照比賣命は「家内和合の神」である。江戸時代に春日造で建てられた本殿は京都府登録文化財鎮守の森は文化財環境保全地区となっている。[3]

境内[編集]

文化財[編集]

京都府登録文化財[編集]

  • 有形文化財
    • 玉津岡神社 2棟(建造物) - 1984年(昭和59年)4月14日登録。
      • 本殿 - 江戸時代。
      • 末社大神宮社 - 江戸時代。

交通アクセス[編集]

JR奈良線玉水駅より約2.0キロメートル、徒歩約30分[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b 乾幸二『井手左大臣橘諸兄公と井堤(井出)郷 -古代よりの歴史と文化が薫る井手の里-』玉津岡神社、1993年、p.51
  2. ^ 大西正宜『玉津岡神社略記』玉津岡神社、1984年、p.4
  3. ^ 地域資源調査委員会 歴史探訪部会編『井手町 歴史観光ガイドブック 井手の里を歩く』井手町商工会、1995年、p.9
  4. ^ 玉津岡神社 井手町ウェブサイト

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、玉津岡神社に関するカテゴリがあります。