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国富論

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諸国民の富の性質と原因の研究(しょこくみんのとみのせいしつとげんいんのけんきゅう、原題:An Inauiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)は、1776年に出版されたアダム・スミスの著作である。『国富論』、または『諸国民の富』の名でも知られる。特に前者が一般的であるため、以後本項でも前者を用いることとする。本書は産業革命以後における経済学について明確に記述されている。本書は全二巻、五編で構成されている。

本書の内容

産業革命

本書の第一編第一章から第三章は分業(division of labor)の発展が解説されている。第十章第二節では、 封建制の終焉に関する理解を促している。

重商主義

アダム・スミスの著作は重商主義の批評および彼の時代に考えられていた新興の経済学の総合体として記述されている。本書は通常、近代経済学の端緒であると考えられている。本書は他の経済学者に向けてというよりもむしろ18世紀当時における教育を受けた平均的な人々に向けて書かれたものである。従って本書は現代の読者に対する古典派経済学(classical economics)への比較的敷居の低い入門書として生き残っている。

「見えざる手」

見えざる手」(invisible hand)は本書の概念としてしばしば言及されるものである。この「見えざる手」の背後にある思想は、人々がその欲求と窮乏の追求を通して無意識的に自らの国を発展させるであろうという主張である。

第四編第二章において以下のように述べられている。 "...he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain; and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention."

業績主義

業績主義(Meritocracy)は本書において強調されるテーマである。

歴史との関連

国富論は啓蒙思想の時代に出版され、著者および経済学者のみならず政府および団体に影響を与えた。例えば、アレキサンダー・ハミルトンが国富論によって感銘と影響を受けている。本書がデイヴィッド・ヒュームシャルル・ドゥ・モンテスキュー、そして重農主義者チュルゴー(Anne Robert Jacques Turgot)といった思想家・経済学者たちによって確立済みであった理論の焼き直しであるといわれていることは、一部においては真実である。しかしながら、本書は経済学における躍進であり、物理学および現代数学、ならびに自然科学にとってのプリンキピアの位置づけと類似するものである。

後世、多くの著述家が国富論に影響され、自らの著作の出発点としてこれを用いた。ジャン=バティスト・セイデヴィッド・リカード、および、さらに後の時代に属するカール・マルクスも国富論を出発点とした著述家に含まれる。

時代錯誤と思われしまう記述

国富論についての注釈書の一部は「時代錯誤」に苦しめられている。これは国富論をあたかも現代に書かれたものであるかのようにして読んだ結果である。国富論は現代英語で記述されてはいるが、考慮すべき点がいくつかある。まず、国富論において用いられている経済用語が現代においては既に用いられていないということである。次に、国富論はヨーロッパにおいて封建制度がまだ支配的であった時代に出版されたものであるということである。例えば、アダム・スミスが国富論の中で言及している会社、すなわち封建制の下における会社は現代のどの会社ともかなり異なったものなのである。政府による規制についても同様のことがいえるのであって、封建時代のヨーロッパと信頼破壊のアメリカ(Trust Busting U.S.)とを同等なものと考えるのは誤りである。

出版履歴

国富論は1776年に出版されて以降、アダム・スミスの存命中、彼自らの手によって4度の改訂が行われている。それは1778年、 1784年、1786年、そして1789年である。よって日本語への翻訳も1789年に出版された第五版を元に行われることが多い。しかし、1791年に出版された第七版がアダム・スミス自ら改訂作業を行った最後の版ではないかという説もあり、こちらを考慮ないし基礎においた翻訳もある。

5回の改定を経る間には多くの細かな違いが存在する。初版と第二版の差異は重要でないものであったが、脚注の追加が行われている。

1784年、アダム・スミスは重商主義批判をその主な内容とする別冊の追補および訂正を組み込み、目次を付した三巻からなる国富論の第三版を出版した。

1786年に出版された第四版は第三版へわずかに改訂が施された。アダム・スミスは本の初めの読者に対する告示において「(第四版では)私はいかなる種類の変更も加えなかった。」と言っている。続く1789年出版の第五版では誤植が取り払われている。

その後の版はアダム・スミスが死去した1790年以降に出版されている。エドウィン・キャナン(Edwin Cannan)指揮の下、初めの5つの版が併記されて比較されている校訂版が1904年に出版されている。

書籍情報

国富論の日本語訳は岩波文庫と中公文庫から刊行されている。

関連項目

こくふろん