片山兼山

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片山 兼山(かたやま けんざん、1730年享保15年) - 1782年5月11日天明2年3月29日[1])は、江戸時代中期の儒学者兼山。名は世璠(せはん・せばん)。叔瑟。通称は東造一字姓により山世璠とも名乗った[2]

当初は徂徠学派に属したが、独立して折衷学派の創始者の一人となった[3]。その学問は「山子学」(さんしがく)と呼ばれ、門人は「山子学派」と呼ばれる[4]

生涯[編集]

先哲叢談』続編第10巻に伝記がある[5]

上野国(現在の群馬県)の農家に生まれる[6]江戸に出て、徂徠学派鵜殿士寧および服部南郭の門下に入る[6]。同門の秋山玉山との縁で、熊本藩に赴き藩校時習館の儒員を6年間務める[6]。江戸に戻った後、同じく徂徠学派の宇佐美灊水の養子となったが、やがて徂徠学に疑問を抱くようになり独立した[6]

独立後は、漢宋諸家の説を折衷する立場をとり、徂徠学を否定した[1]。晩年は、尾張藩の『群書治要』校刻事業(『群書治要』天明版・尾張本)にも関与した[3]

墓所が東京都港区真宗大谷派明福寺にある[7]

主な著書[編集]

  • 四書五経や『文選』の訓点(通称「山子点」)
  • 『山子垂統』
  • 『山子遺文』
  • 『学庸解廃疾』
  • 『古文孝経標注』
  • 『論語一貫』
  • 『周易類考』
  • 『尚書類考』
  • 『毛詩類考』 [1][3]

山子学派[編集]

兼山の門人は山子学派と呼ばれる。彼らにより『荀子増注』(『荀子』の注釈書)、『呂氏一適』(『呂氏春秋』の注釈書)[4]などが著された。

関連人物[編集]

関連文献[編集]

  • 藤川正数『荀子注釋史上における邦儒の活動 正篇』風間書房、1980年。ISBN 978-4-7599-0523-6 

脚注[編集]

  1. ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『片山兼山』 - コトバンク
  2. ^ 古典籍総合データベース 検索「片山 兼山」”. www.wul.waseda.ac.jp. 2021年2月6日閲覧。
  3. ^ a b c 衣笠安喜・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『片山兼山』 - コトバンク
  4. ^ a b 土屋紀義・佐々木研太『江戸時代の呂氏春秋学:山子学派と森鐵之助・新出注釈二種』中国書店、2017年。ISBN 978-4903316581 
  5. ^ NDLJP:778301/31
  6. ^ a b c d 平凡社・世界大百科事典 第2版『片山兼山』 - コトバンク
  7. ^ a b 宝物”. 真宗大谷派 明福寺/東京都港区三田のお墓、永代供養墓、納骨堂、法事 (2017年7月14日). 2021年2月6日閲覧。
  8. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 23頁。
  9. ^ 片山述堂』 - コトバンク