荀子

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篆書による『荀子』(鄧石如筆)

荀子(じゅんし、紀元前313年? - 紀元前238年以降)は、中国戦国時代末の思想家儒学者は況。尊称して荀卿または孫卿とも呼ばれる。

人物・来歴[編集]

紀元前4世紀末ごろに、に生まれる。『史記』によると、50歳で初めてに遊学した。 襄王に仕え、斉が諸国から集めた学者たち(稷下の学士)の祭酒(学長職)に任ぜられる。後に、讒言のため斉を去り、の宰相春申君に用いられて、蘭陵の令となり、任を辞した後もその地に滞まった。後漢荀彧荀攸はその末裔と言う。

性悪説」で知られる。

著作[編集]

荀子および後学の著作群は、前漢末に劉向によって整理され、『孫卿新書』32篇12巻としてまとめられた(河平三年、BC26)。楊倞は当時伝承されていたテキストが混乱していたのでこれを校訂して注釈を加え、書名を『荀子』と改め、劉向の篇の配列を一部改めて内容のまとまりのある順番に並べ替え、32篇20巻とした(元和十三年、818)。のちに『孫卿新書』は亡佚し、現存するものはすべて楊倞注本の系統である。

出版物として初めて刊行されたのは、北宋神宗の熙寧元年(1068)であり、南宋孝宗の淳熙八年(1181)に台州知事唐仲友が復刻した。この宋代の刊本が宋本である。しかしこれは中国で散逸し、日本の金沢文庫に一冊のみ残された。この写本が影宋台州本である。江戸期文政時代の久保愛は、この影州宋台本を参照して『荀子増注』を著した(文政三年、1820の自序。文政八年、1825刊)。よって、宋本を参照した注釈は、日本の『荀子増注』が中国より早い。中国では王先謙が清代考証学の成果を取り入れ、日本の宋本も参照して、『荀子集解』を著した(光緒十七年、1891)。

現行の『荀子』32篇は以下の構成である。

1. 勧学、2. 修身、3. 不苟、4. 栄辱、5. 非相、6. 非十二子、7. 仲尼、8. 儒效、9. 王制、10. 富国、11. 王霸、12. 君道、13. 臣道、14. 致士、15. 議兵、16. 彊国、17. 天論、18. 正論、19. 礼論、20. 楽論、21. 解蔽、22. 正名、23. 性悪、24. 君子、25. 成相、26. 賦、27. 大略、28. 宥坐、29. 子道、30. 法行、31. 哀公、32. 堯問

思想[編集]

生涯学習[編集]

勧学篇は、「学は以て已(や)む可からず」の語から始まる。人間は終生学び続けることによって自らを改善しなければならないと説く。「青は之を藍より取りて、藍よりも青し」は勧学篇の言葉であり、「青は藍より出て藍より青し」の成語で有名である。学ぶことは自分勝手な学問ではものにならず、信頼できる師の下で体系的に学び、かつ正しい礼を学んで身に付けた君子を目指さなければならない。荀子にとっての君子は、礼法を知って社会をこれに基づいて指導する者である。

礼の重視[編集]

修身篇では、『礼』を重視している。

実力主義・成果主義[編集]

王制篇や富国篇等では、治政にあたって実力主義や成果主義の有効性を説いている。王制篇では、王公・士大夫の子孫といえども礼儀にはげむことができなければ庶民に落し、庶民の子孫といえども文芸学問を積んで身の行いを正して礼儀にはげむならば卿・士大夫にまで昇進させるべきことを説く。

王覇論[編集]

王制篇で、天下を統一する王者がいない条件下では、覇者が勝利することを示す。覇者は領地を併合することなく、諸侯を友邦として丁重に扱い、弱国を助けて強暴の国を禁圧し、滅んだ国は復興させて絶えた家は継がせる。このような正義の外交によって覇者は諸侯を友として、単に力あるだけの強者に勝利すると説く。それでも荀子はそのような現実的な覇者よりも、絶対正義を示して天下全てを味方につけて戦わず勝利するユートピア的な王者を優位に置き、覇者ではなく王者を理想とする。王者の王道政治を理想とするのは、孟子と同じく儒家の基本思想である。

性悪説・社会起源論[編集]

荀子は人間のを「悪」すなわち利己的存在と認め、君子は本性を「偽」すなわち後天的努力(すなわち学問を修めること)によって修正して善へと向かい、統治者となるべきことを勧めた。この性悪説の立場から、孟子性善説を荀子は批判した。

富国篇で、荀子は人間の「性」(本性)は限度のない欲望だという前提から、各人が社会の秩序なしに無限の欲望を満たそうとすれば、奪い合い・殺し合いが生じて社会は混乱して窮乏する、と考えた。それゆえに人間はあえて君主の権力に服従してその規範(=「礼」)に従うことによって生命を安全として窮乏から脱出した、と説いた。このような思想は、社会契約説の一種であるとも評価される[1]

荀子は規範(=「礼」)の起源を社会の安全と経済的繁栄のために制定されたところに見出し、高貴な者と一般人民との身分的・経済的差別は、人間の欲望実現の力に差別を設け欲望が衝突することを防止して、欲しい物資と嫌がる労役が身分に応じて各人に相応に配分されるために必要な制度である、と正当化する。そのために非楽(音楽の排斥)・節葬(葬儀の簡略化)・節用(生活の倹約)を主張して君主は自ら働くことを主張する墨家を、倹約を強制することは人間の本性に反し、なおかつ上下の身分差別をなくすことは欲望の衝突を招き、結果社会に混乱をもたらすだけであると批判した。

荀子の実力主義による昇進降格と身分による経済格差の正当化は、メリトクラシーとして表裏一体である。

天人の分[編集]

天論篇では、「」を自然現象であるとして、従来の天人相関思想(「天」が人間の行為に感応して禍福を降すという思想)を否定した。

流星日食も、珍しいだけの自然現象であり、為政者の行動とは無関係だし、吉兆や凶兆などではない。これらを訝るのはよろしいが、畏れるのはよくない」。

「天とは自然現象である。これを崇めて供物を捧げるよりは、研究してこれを利用するほうが良い」。

また祈祷等の超常的効果も否定している。

「雨乞いの儀式をしたら雨が降った。これは別に何ということもない。雨乞いをせずに雨が降るのと同じである」。

「為政者は、占いの儀式をして重要な決定をする。これは別に占いを信じているからではない。無知な民を信じさせるために占いを利用しているだけのことである」。

後世への影響[編集]

中国・秦漢代[編集]

荀子の弟子としては、韓非李斯浮丘伯・陳囂・張蒼などが記録に現れる。韓非・李斯は荀子の統治思想を批判的に継承した。韓非・李斯は、外的規範である「礼」の思想をさらに進めて「法」による人間の制御を説き、韓非は法家思想の大成者となり、李斯は法家の実務の完成者となった。ただし、「法家思想」そのものは荀子や韓非子の生まれる前から存在しており、荀子の思想から法家思想が誕生した、というのは誤りである。

浮丘伯は漢代に『詩経』の伝承の一である魯詩を伝えた申公の師である。張蒼は漢代初期の丞相であり、『経典釈文叙録』によればその学を荀子に学んだ。荀子の学が漢学に影響したものははなはだ大きく、『詩経』『書経』『春秋』の三学のごときは荀子の伝承に出たものである[2]。荀子の名声は、漢代の儒者において大きかった[3]

中国・唐代以降[編集]

唐代に『荀子』を校訂した楊倞は、『孟子』は唐代の君子たちの多くが読んでいるのに『荀子』にはいまだ注釈がなく、テキストが混乱して意味が取れなくなっているので自分が校訂して注釈した、と『荀子』の自序に書いている[4]。唐代には、すでに『荀子』は『孟子』に比べて読まれなくなっていた。唐代の韓愈は『原道』で儒学復興を提唱したが、その中で古代の聖人の道統を述べた。湯王文王武王周公の聖人たちが伝えた道は孔子に継がれ、その後に孟子に継がれ、その死後は道が断絶したと評した。そして荀子および揚雄は、「選びて精(くわ)しからず、語詳(つまびら)かならず」(『原道』より)と聖人の道を選んで正しく伝えることができなかったと評したのであった。この韓愈の評価が、後の宋代儒学の道統の標準となり、孟子の後に現れた荀子は排斥される道を辿った。北宋の蘇軾は『荀卿論』を著して、王安石を暗に批判するために荀子を取り上げ、弟子の李斯の過ちが師の荀子に由来すると批判した。その後の中国思想を支配した朱子学においては、荀子は四書の一である『中庸』『孟子』を書いた子思・孟子を批判し、孟子の性善説を否定して性悪説を説く異端として、遠ざけられてしまった。ようやく清代になって考証学が盛んとなり、『荀子』もまた先秦の古文献として客観的な研究が行われるようになった。

日本・江戸時代[編集]

江戸時代、日本で荀子に一定の評価を与えたのは、荻生徂徠である。荻生徂徠は「荀子は子・孟(子思と孟子)の忠臣なり」と言い、彼の言うところによれば荀子は子思や孟子の理論的過ちを正した忠臣といえる存在であり、荀子のほうが孔子が伝えようとした先王の道(子思・孟子の言う儒家者流の倫理ではなく、先王が制定した礼楽刑政の統治制度)をよく叙述していた。徂徠は『読荀子』において『荀子』の日本における初期的注釈を行った。

日本での『荀子』研究成果としては、久保愛(筑水、宝暦九年―天保六年、1759-1835)が師の片山世璠(兼山、山子。享保十五年―天明二年、1730-1782)を継いで『荀子増注』を作った。

しかし、江戸時代を通じて日本儒学の主流は朱子学、あるいはそのアンチである陽明学であり、いずれも孔子・孟子は評価したが、荀子への評価は高いとはいえなかった。久保愛も『荀子増注序』においてこの書を天下で知る者は少ない、と嘆いている。

関連項目[編集]

主な訳注書[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 重澤俊郎『周漢思想研究』大空社、1998年(復刻版)
  2. ^ 服部宇之吉『荀子解題』(冨山房『漢文大系』第十五巻、大正二年に収録)
  3. ^ 久保愛『荀子増注序』
  4. ^ 『荀子注序』