荀子

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篆書による『荀子』(鄧石如筆)

荀子(じゅんし、紀元前313年? - 紀元前238年?)は、中国戦国時代末の思想家儒学者は況、は卿。

人物・来歴[編集]

紀元前4世紀末、に生まれる。襄王に仕え、斉が諸国から集めた学者たち(稷下の学士)の祭酒(学長職)に任ぜられる。後に、讒言のため斉を去り、の宰相春申君に用いられて、蘭陵の令となり、任を辞した後もその地に滞まった。後漢荀彧荀攸はその末裔と言う。

性悪説」で知られる。

著作[編集]

荀子および後学の著作群は、前漢末に整理され、『孫卿新書』32篇としてまとめられた。楊倞はこれを整理して書名を『荀子』と改め、注釈を加えて20巻とした。のちに『孫卿新書』は亡佚し、現存するものはすべて楊倞注本の系統である。

32編は以下の構成である。

1. 勧学、2. 修身、3. 不苟、4. 栄辱、5. 非相、6. 非十二子、7. 仲尼、8. 儒效、9. 王制、10. 富国、11. 王霸、12. 君道、13. 臣道、14. 致士、15. 議兵、16. 彊国、17. 天論、18. 正論、19. 礼論、20. 楽論、21. 解蔽、22. 正名、23. 性悪、24. 君子、25. 成相、26. 賦、27. 大略、28. 宥坐、29. 子道、30. 法行、31. 哀公、32. 堯問

思想[編集]

生涯学習[編集]

勧学編では、学ぶことや善事の継続的な努力を説いている。

礼の重視[編集]

修身編では、『礼』を重視している。

実力主義・成果主義[編集]

王制編や富国編等では、治政にあたって実力主義や成果主義の有効性を説いている。

性悪説[編集]

性悪編では、人間のを悪と認め、後天的努力(すなわち学問を修めること)によって善へと向かうべきだとした。このような性悪説の立場から、孟子性善説を荀子は批判した。

荀子は、「善」を「治」、「悪」を「乱」と規定し、また人間の「性」(本性)は「限度のない欲望」だという前提から、各人がそれぞれ無限の欲望を満たそうとすれば、奪い合い・殺し合いが生じて社会は「乱」(=「悪」)に陥る、と述べてその性悪説を論証する。 そして、各人の欲望を外的な規範(=「礼」)で規制することによってのみ「治」(=「善」)が実現されるとして、礼を学ぶことの重要性を説いた。

このような思想は、社会契約説の一種であるとも評価される。

天人の分[編集]

天論編では、「」を自然現象であるとして、従来の天人相関思想(「天」が人間の行為に感応して禍福を降すという思想)を否定した。

流星日食も、珍しいだけの自然現象であり、為政者の行動とは無関係だし、吉兆や凶兆などではない。これらを訝るのはよろしいが、畏れるのはよくない」。

「天とは自然現象である。これを崇めて供物を捧げるよりは、研究してこれを利用するほうが良い」。

また祈祷等の超常的効果も否定している。

「雨乞いの儀式をしたら雨が降った。これは別に何ということもない。雨乞いをせずに雨が降るのと同じである」。

「為政者は、占いの儀式をして重要な決定をする。これは別に占いを信じているからではない。無知な民を信じさせるために占いを利用しているだけのことである」。

後世への影響[編集]

荀子の弟子としては、韓非李斯浮丘伯・陳囂の4人が知られる。このうち浮丘伯を通じて、荀子の思想は漢代の儒学に大きな影響を与えた。韓非や李斯は、外的規範である「礼」の思想をさらに進めて「法」による人間の制御を説き、韓非は法家思想の大成者となり、李斯は法家の実務の完成者となった。

ただし、「法家思想」そのものは荀子や韓非子の生まれる前から存在しており、荀子の思想から法家思想が誕生した、というのは誤りである。

関連項目[編集]

主な訳注書[編集]

外部リンク[編集]