灘手村

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なだてそん
灘手村
廃止日 1955年5月1日
廃止理由 編入合併
灘手村 → 倉吉市
現在の自治体 倉吉市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,427
国勢調査、1950年)
隣接自治体 大誠村栄村、倉吉市
灘手村役場
所在地 鳥取県東伯郡灘手村大字尾原
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灘手村(なだてそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の倉吉市の一部にあたる。

地理[編集]

由良川支流・円城寺川の流域、四王子山北麓から久米が原台地にかけて位置していた[2]

  • 河川:北条川[3]
  • 山岳:蜘ケ家山[3]、向山[4]

歴史[編集]

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡寺谷村、上神村、尾原村、穴沢村、北面村、別所村、鋤村、谷村、津原村が合併して村制施行し、灘手村が発足[1][2]。旧村名を継承した寺谷村、上神村、尾原村、穴沢村、北面村、別所村、鋤村、谷村、津原村の9大字を編成[2]。役場は大字穴沢村に設置し、その後、大字尾原村に移転[5]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1914年(大正3年)11月1日、「灘手村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「灘手村大字○○」と改称[6]
  • 1953年(昭和28年)10月1日、大字寺谷・上神が東伯郡倉吉町西郷村上井町上小鴨村社村上北条村北谷村高城村と合併し、市制施行して倉吉市を新設[1][2]。合併後、倉吉市大字寺谷・上神となり、灘手村は7大字となる[2]
  • 1955年(昭和30年)5月1日、倉吉市に編入され廃止[1][2]。編入後、倉吉市大字尾原・穴沢・北面・別所・鋤・谷・津原となる[2]

産業[編集]

  • 農業、養蚕[2]
  • 窯業(上神焼)[3]
  • 産物:米、麦、サツマイモ、スイカ[2]

教育[編集]

  • 1873年(明治6年)谷学校開校[7]、上神学校開校[3]。1875年(明治8年)谷学校、上神学校が合併し別所小学校設立[2]。1888年(明治21年)別所尋常小学校に改称[2]。1893年(明治26年)灘手尋常小学校に改称[2]。1900年(明治33年)高等科設置[2]。1939年(昭和14年)大字尾原に校舎新築移転[2]。1941年(昭和16年)灘手国民学校を経て1947年(昭和22年)灘手小学校に改称[2]。(のち倉吉市立灘手小学校

名所・旧跡[編集]

  • 上神大将塚古墳(円墳)[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』570頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』568頁。
  3. ^ a b c d e 「上神〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』219-220頁。
  4. ^ 「寺谷〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』506頁。
  5. ^ 「尾原〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』207頁。
  6. ^ 「字名改称並区域変更」『官報』1914年10月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「谷〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』478頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]