波上騒動

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波上騒動(なみのうえそうどう)とは、1971年8月11日にアメリカ占領下の沖縄那覇市で発生した暴動事件。

事件の概要[編集]

標的となった黄色ナンバープレート

1971年8月11日午前1時30分、軍道1号線(現国道58号)の那覇軍港前で、客待ちをしていたタクシーに向かってアメリカ兵が投石を行い、さらに運転手を殴りつけて負傷させた[1]。アメリカ兵はまもなく拘束され、琉球警察那覇警察署山下派出所に連行された。

すると、近くに居合わせた被害者の同僚のタクシー運転手や通行人約100人が山下派出所に集結し、「米兵を出せ!」と騒ぎ出した。そのため警察は、那覇市泉崎にあった那覇警察署に米兵の身柄を移した。そして群衆も那覇署に移動し、那覇署前交差点(現県庁前交差点)は、野次馬も含めて約400人の群衆で一杯になった。

那覇署では非常招集をかけ、不測の事態に備えると同時に、群衆に向かって「被疑者の引渡しはできない」と根気強く説得した。

午前3時30分頃、群衆の中から「外人は波上にいるぞ!」という声がでて、タクシーに分乗して当時外人バーがあった波上地区(那覇市辻付近)に移動した。そこで、黄色のナンバープレート(当時の米軍関係者車両に付いていた)の乗用車をひっくり返して火を付けて炎上させたり、通りがかりの外国人を袋叩きにした。

まもなく機動隊も駆けつけて、騒ぎは午前4時過ぎ頃に沈静化した。

なお事件の発端となった米兵は、その後憲兵に引き渡された。

脚注[編集]

  1. ^ 「米兵の乱暴怒り騒動 那覇バー街で300人」『中國新聞』昭和46年8月11日夕刊 7面

参考文献[編集]

  • 沖縄タイムス』1971年8月11日夕刊

関連項目[編集]