権知高麗国事
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権知高麗国事(けんちこうらいこくじ)は、明が李氏朝鮮初期の国王に授けた称号。高麗王代理、あるいは高麗国知事代理を意味する。
李氏朝鮮の初代国王李成桂は1392年、明が冊封した高麗王の禑王、昌王と恭譲王を廃位して高麗王位を簒奪した後、権知高麗国事と称して明国へ使者を送り、その地位を認めさせた。
明より王朝交代に伴う国号変更の要請をうけた李成桂は、重臣達と共に国号変更を計画し、洪武帝が「国号はどう改めるのか、すみやかに知らせよ」といってきたので、高麗のほうでは「朝鮮」(朝の静けさの国)と「和寧」(平和の国)の二つの候補を準備して洪武帝に選んでもらった。「和寧」は北元の本拠地カラコルムの別名であったので、洪武帝は、むかし前漢の武帝にほろぼされた王国の名前である「朝鮮」を選んだ、そして李成桂を権知朝鮮国事に封じたことにより朝鮮を国号とした。和寧と言うのは李成桂の出身地の名であり、現在では国号の本命ではなかったとの意見が多い。
だが明では、明が冊封した高麗王を廃位して代わりの王を即位させたり、最後には勝手に自ら王に即位した李成桂を快く思わなかったらしく、李成桂を最後まで朝鮮王としては冊封しなかった。
明から朝鮮国王として正式に冊封されたのは、第3代国王である太宗からであった。
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