栄町 (青森市)

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栄町
栄町の位置(青森県内)
栄町
栄町
栄町の位置
北緯40度49分28秒 東経140度46分2.23秒 / 北緯40.82444度 東経140.7672861度 / 40.82444; 140.7672861
日本の旗 日本
都道府県 青森県
市町村 青森市
人口
2017年(平成29年)5月1日現在[1]
 • 合計 1,029人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
030-0903
市外局番 017[2]
ナンバープレート 青森

栄町(さかえまち)は青森県青森市の地名。現行行政地名は栄町一丁目及び栄町二丁目。郵便番号030-0903。

地理[編集]

 青森市の中心市街地東部に位置する。北東で合浦、南東で浪打、南で花園、南西の堤川越しに松原、西で同じく堤川越しに堤町、北西で茶屋町と隣接する。南北の幅約200m~100m、東西の幅1km超と非常に細長い形をしており、西側の栄町一丁目と東側の栄町二丁目で構成される。

 国道4号をまたぐような形ではあるが、中小商店などが多い場所である。堤橋で堤川を西側から渡った場合、国道4号沿いに続き、浪打銀座通り少し手前までずっと続いている。南には東北本線の旧線路跡地の1号遊歩道があり、堤川から450mほどは特に「文芸のこみち」として1995年7月7日に開園した。淡谷のり子太宰治など青森県出身の著名人の碑が14基建てられている。

歴史[編集]

江戸時代津軽郡造道村であった場所である。

  •  1871年(明治4年) - 字浪打の南部に帰農士族が移転する。その場所は、浪打新町と呼ばれた。
  •  1872年(明治5年) - 火災に遭った諏訪神社が、堤川の中洲から字浪打(現在の栄町)に移転。
  •  1876年(明治9年) - 明治天皇巡幸に際し、堤橋からまっすぐ東に向かう新道が建設される。これにより、浪打新町が街道沿いとなり、後に新茶屋町とも呼ばれる。北側に位置する古くからの茶屋町は古茶屋町と呼ばれる。
  •  1883年(明治16年) - 浪打新町が造道村から分離して栄町となる。
  •  1889年(明治22年)4月1日 - 栄町は、造道村字浪打とともに、青森市に編入された。
  • 1926年(大正15年)7月10日 - 大火。栄町裏通りは協成女学校を残して火の手が止まる[3]
  •  1966年(昭和41年)6月1日 - 青森市東部地区の住居表示実施により、栄町の一部が栄町一・二丁目となる。
  •  1969年(昭和44年)11月1日 - 青森市練兵町地区の住居表示実施により、栄町の一部が花園二丁目に組み込まれた。

施設[編集]

  • 東消防署
  • 青森栄町郵便局
  • 阿弥陀寺
  • 成田山青森寺
  • 諏訪神社

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 青森市 (2017年5月25日). “人口・世帯数等(住民基本台帳)”. 青森市. 2017年5月29日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ 青森市内の工場地帯で大火『東奥日報』大正15年7月11日夕刊(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p2 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)