林国雄

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林 国雄(はやし くにお、1758年宝暦8年)- 1819年3月22日文政2年2月27日))は、江戸時代中期から後期の国学者狂歌師である[1][2]。号は常盤居(常盤舎とも[1][2]、松園[1][2]、棹歌亭[2]。通称は主税[1][2]、山崎千右衛門[1][2]。狂歌名は棹歌亭真楫[1]

経歴・人物[編集]

常陸水戸生まれ[1][2]江戸に入り[2]、鎗奉行として知られ甲府勤番を務めた八木丹波守に仕える[2]。その後は鹿津部真顔から狂歌[1][2]本居宣長及び平田篤胤から国学や和歌を学ぶ[2]。その後は八木家を離れ[2]、山崎家の養子となるも短期間で絶縁した[2]

その後は武蔵上総下総等の関東諸国や信濃越後奥羽等東日本を中心に遊歴し[2]、江戸に戻り四谷の苅豆店に移住し塾を開き[1][2]、国学のみならず講釈も行い多くの門人を育てた[2]。弟子(養子とも)に林甕雄がいる[2]

主な著作物[編集]

主著[編集]

  • 『言葉(詞)の緒環』

その他の著書[編集]

  • 『皇国之言霊』
  • 『松葉集』

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 林国雄”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 林国雄”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版). 2023年8月10日閲覧。