松ヶ崎横穴墓群

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松ヶ崎横穴墓群の1基。藪に埋もれた横穴入口がほんの少し顔を覗かせている(2020年5月5日撮影)。
地図
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松ヶ崎横穴墓群(まつがさきよこあなぼぐん)は神奈川県横浜市港南区港南台9丁目にある古墳時代から奈良時代初めごろの横穴墓群遺跡㹨川流域横穴墓群の1つ。横浜市登録地域史跡に登録されている[1]

概要[編集]

神奈川県立横浜明朋高等学校(かつて神奈川県立港南台高等学校)南側敷地の山の斜面にある。行政区は港南区だが栄区との区界に面し、㹨川の谷を降りた位置にあるため地域的にもほぼ栄区である。かつて港南台遺跡群に数えられ、8基残っていたといわれるが[2]、現場は雑木林でほとんど草木や土に埋められ、横穴の入口が少しだけ見えるような状態で2-3基が解る程度である。

羨道(入口)奥の死者の安置場(玄室)が、細長い台形の床面と蒲鉾形天井をもっており、さらに奥の壁に「棺室」といわれる置き棚のような小部屋を掘り造る「鎌倉型横穴墓鍛冶ヶ谷式横穴墓」というデザインが特徴[3]

2015年(平成27年)11月13日に横浜市登録地域文化財の「地域史跡」に登録されている[4]

詳しく載っている本[編集]

  • 鵠沼女子高等学校地歴研究部 『横浜市戸塚区㹨川流域の横穴群について』1964年(昭和39年)3月20日発行
  • 神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課『港南台-横浜市港南台土地区画整理事業にともなう調査-(神奈川県埋蔵文化財調査報告9)』1976年(昭和51年)3月発行
  • 港南の歴史発刊実行委員会『港南の歴史』1979年(昭和54年)10月1日発行

脚注[編集]

  1. ^ 港南台 横穴墓群が地域文化財に”. タウンニュース港南区・栄区版 (2015年11月26日). 2020年7月22日閲覧。
  2. ^ 神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課『港南台』(1976年)156-158ページ
  3. ^ 埋蔵文化財センター(横浜市)『埋文よこはま31』(2015年)1-3ページ
  4. ^ 指定・登録文化財目録”. 横浜市教育委員会 (2020年5月29日). 2020年7月24日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度22分09.1秒 東経139度34分21.2秒 / 北緯35.369194度 東経139.572556度 / 35.369194; 139.572556