李経方

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李 経芳(り けいほう、Li Jingfang1855年1934年)、字は伯行、号は端甫末の官僚・外交官。

安徽省合肥磨店出身。李鴻章の弟李昭慶の子。1862年、李鴻章の養子となる。1877年から天津直隷総督衙門で洪汝奎について学んだ。1882年挙人となり、李鴻章のもとで外交事務を担当した。1886年から駐英公使の随員としてイギリスに赴いた。

1890年より駐日公使に就任。1895年、李鴻章とともに下関条約を結び、台湾割譲の全権委員となった。6月2日、基隆沖に停泊していた日本船「西京丸」上で初代台湾総督樺山資紀との間に台湾接受の手続きを行った。樺山が「なぜ台湾に上陸しないのか」と問うたところ、李経方は「上陸すれば台湾住民に暗殺されるだろう」と答えたという。

1905年に商約大臣となり、1907年には駐英公使となった。1911年、郵伝部左侍郎となった。それまで郵政事業は外国人が担当していたが、交渉の結果、李経方が漢人ではじめての郵政総局局長となった。

清朝の滅亡後は、実業家に転向した。

著書[編集]

  • 『李襲侯遺集』
  • 『安徽全省鉄路図説』
先代:
黎庶昌
駐日清国公使
1890年 - 1891年
次代:
汪鳳藻
先代:
汪鳳藻
駐日清国公使
1892年
次代:
汪鳳藻

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