李浩哲

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李浩哲
誕生 1932年3月15日[1]
韓国の旗 韓国咸鏡南道元山
職業 小説家
言語 韓国語
国籍 韓国
活動期間 1955年 -
ジャンル 小説
処女作 탈향(脱郷)
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李浩哲
各種表記
ハングル 이호철
漢字 李浩哲
発音: イ・ホチョル
英語表記: Lee Ho Cheol
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李浩哲(Lee Ho Cheol、イ・ホチョル、1932年3月15日- )は韓国小説家咸鏡南道元山出身。[1][2]

略歴[編集]

1932年3月15日咸鏡南道元山に生まれる。元山中学校(同期に後藤明生がいた)を卒業後、1950年人民軍として朝鮮戦争に参加、その後韓国に移った。1955年短編小説『탈향(脱郷)』が『文学芸術』に推薦され登壇した。初期は、戦争の傷痕を繊細な筆致で描写した『나상(裸像)』、『탈각(脱却)』、만조(満潮)』などの短編を発表した。これらの作品では、孫が戦争に行ったおばあさん、戦いの名分も意欲も失ったまま行軍する人民軍兄弟、苦しみの中で生きる戦争孤児の姿などを描いている。1960代に入っては、現実世態の問題を独特な歴史感覚で明らかにして事実的に描いた長編『판문점(板門店)』を発表した。この作品は、作家が体験した故郷喪失を個人的な内面意識よりは民族分断の歴史的状況とつなげることで強烈な社会的意味を獲得している。

1962年、『東仁文学賞』を受賞した作品『닳아지는 살들(磨り減る肌)』は、平凡な日常生活を描いているが、南北分断の状況がそのベースにある。1970年代に入って李は、作品活動よりは当時の独裁に抵抗する民主化運動に関与して何度も刑務所に入れられたため、創作活動ができなかった。『그 겨울의 긴 계곡(あの冬の長い渓谷)』、『(門)』などはその経験を元に書かれた作品である。2009年には、解放後活動した政治家たちがあの世で出会って話をするという設定の小説『 별들 너머 이쪽 저쪽(星の向こうこっちあっち) 』を発表した。

年譜[編集]

代表作品[編集]

  • 1961年、나상(裸像) [3][4]
  • 1964年、소시민(小市民)
  • 1966年、서울은 만원이다(ソウルは満員だ)
  • 1972年、큰 산(大きい山)
  • 1975年、닳아지는 살들(磨り減る肌)
  • 1976年、이단자(異端者)
  • 1977年、남풍북풍(南風北風)
  • 1978年、그 겨울의 긴 계곡(あの冬の長い渓谷)
  • 1981年、(門)
  • 1988年、판문점(板門点)
  • 1995年、(角)
  • 1996年、남녘사람 북녘사람(南のひと北のひと)
  • 1997年、이호철의 소설창작강의(李浩哲の小説創作講義)
  • 2001年、이호철 문학선집(李浩哲文学選集)
  • 2009年、별들 너머 이쪽 저쪽(星の向こうこっちあっち)

日本語で読める作品[編集]

  • 『南のひと北の人』姜尚求訳、新潮社、2000、ISBN 4105394010
  • 『板門店』姜尚求訳、作品社、2009、ISBN 4861822475
  • 李恢成との対談が李恢成の対談集『参加する言葉』(講談社、1974年)に収録されている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 인물정보(人物情報) NAVER(韓国語) 2014年閲覧。
  2. ^ [1] 한국문학번역원 문인DB 이호철 2014年閲覧。
  3. ^ [2] NAVER(韓国現代文学大辞典) 2014年閲覧。
  4. ^ [3] NAVER(国語国文学資料辞典) 2014年閲覧。