本間博

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 本間博 七段
名前 本間博
生年月日 (1958-07-13) 1958年7月13日(65歳)
プロ入り年月日 1985年6月10日(26歳)
引退年月日 2003年3月31日(44歳)
棋士番号 170
出身地 大阪府
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 森安秀光九段
段位 七段
棋士DB 本間博
戦績
通算成績 145勝252敗(.3652)
竜王戦最高クラス 4組
順位戦最高クラス C級2組(7期)
2014年5月30日現在
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本間 博(ほんま ひろし、1958年7月13日 - )は、将棋棋士。棋士番号170。大阪府出身。森安秀光九段門下。

経歴[編集]

中学1年の頃から「森安道場」に通うようになり、1学年上の野田敬三と知り合う。高校1年のとき、野田とともに高校を退学して奨励会試験を受けるというギャンブルに出て、見事合格。同期入会には、福崎文吾らがいる。

1985年6月10日の四段昇段(プロ入り)は、阿部隆と同日であった。その半年後に本間より12歳若い羽生善治がプロ入りし、その後、続々と「羽生世代」が台頭してくることとなる。

順位戦はC級2組に7期在籍し、その通算勝率はちょうど4割であった。「羽生世代」との順位戦での対戦成績は1勝5敗であった。1992年度に降級点が累積3点となり、フリークラスに降級することとなった。その一方で、竜王戦では第1期(1988年度)5組の3位決定戦で井上慶太に勝ち、4組へ昇級している。

フリークラス降級後、C級2組復帰の規定を満たす成績を収められず、2003年3月に44歳で引退。

普及活動に熱心な棋士として知られている。活動は国内に留まらず、2007年7月に文化庁から文化交流使の指名を受け、2008年5月まで、パリを中心にヨーロッパ各地に在住して、将棋の普及活動を行った[1]

2008年8月、自宅にて「本間将棋スクール」を開校。

昇段履歴[編集]

  • 1975年 5級 = 奨励会入会
  • 1977年 初段
  • 1985年6月10日 四段 = プロ入り
  • 1993年12月1日 五段(勝数規定
  • 2003年3月31日 引退
  • 2006年4月1日 六段(引退棋士規定)
  • 2021年4月1日 七段(引退棋士規定)

主な成績[編集]

  • 通算成績 145勝252敗 勝率0.3652
  • 順位戦 C級2組 7期

在籍クラス[編集]

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1986 45 C244
1987 46 C220 1 5組 --
1988 47 C222 2 4組 --
1989 48 C247 3 4組 --
1990 49 C224 4 4組 --
1991 50 C233 5 4組 --
1992 51 C248 6 5組 --
1993 52 F編 7 5組 --
1994 53 F編 8 5組 --
1995 54 F編 9 5組 --
1996 55 F編 10 5組 --
1997 56 F編 11 5組 --
1998 57 F編 12 5組 --
1999 58 F編 13 5組 --
2000 59 F編 14 5組 --
2001 60 F編 15 5組 --
2002 61 F編 16 5組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 本間博六段の欧州将棋普及活動-最新報告」。2008年2月5日、MSN産経ニュース。

外部リンク[編集]