本庄光郎

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本庄 光郎
本名 本庄 光郎
ふりがな ほんじょう こうろう
国籍 日本の旗 日本
出身地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
生年月日 1907年
没年月日 1995年6月7日
撮影スタイル 主にヌード写真
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本庄 光郎(ほんじょう こうろう、1907年 - 1995年6月7日[1])は、大阪府出身の写真家シュルレアリスムなど前衛芸術に強く影響され、あらゆる技法を駆使したヌード作品を多く制作したことで知られる。大阪大倉商業学校出身。

略歴[編集]

  • 1907年 - 大阪府大阪市に生まれる。
  • 1935年 - 浪華写真倶楽部に入会。
  • 1937年 - ハイ・コントラストの技法を駆使した作品「光る曲線」で浪華写真倶楽部展推薦賞を受賞。また、浪華写真倶楽部の他の会員らと「アバンギャルド・造影集団」を結成。
  • 1938年 - 作品「夢の再生装置」を発表。
  • 1940年 - 作品「意識の流れ」を発表。
  • 1945年 - 大阪大空襲で被災。撮影ネガやオリジナル・プリントなどを失う。その後兵庫県西宮市へ移住。
  • 1946年 - 戦争により浪華写真倶楽部が活動を休止していたため、再建のため力を尽くす。戦後はすぐにヌード写真の撮影を行い始める。
  • 1954年 - ザールブリュッケンで開催された「主観的写真2」展に出品。
  • 1958年1965年 - 英写真年鑑「フォトグラフィ・イヤー・ブック」に作品を毎年載せる。
  • 1960年 - 米年鑑「USカメラ」に作品を載せる。
  • 1964年 - 米年鑑「USカメラ」に作品を載せる。
  • 1965年 - 米年鑑「USカメラ」に作品を載せる。
  • 1976年 - 全日本写真連盟創立50周年記念功労賞を受賞。
  • 1989年 - 日本写真協会功労賞を受賞。
  • 1992年 - 兵庫県文化賞を受賞。
  • 1995年 - 死去。

出版物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.507

関連項目[編集]

外部リンク[編集]