曹禺

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曹禺

曹禺(そう・ぐう、Cao Yu、1910年9月24日 - 1996年12月13日)は、中国の劇作家。

人物[編集]

天津生まれ、本名は萬家宝。曹禺というペンネームは、本名の「萬」を艹と禺に分解し、艹(草字頭、くさかんむり)に中国語で草と同音の曹をあてたもの。禺の音読みはグだが、曹禺の場合はソウ・グウという慣用音が定着している。本籍は湖北省潜江市。天津・南開中学に入学、南開新劇団に参加。清華大学在学中の1934年『雷雨』を発表。続いて『日の出』(日出 1936年)『原野』(1937年)発表。これらの作品は、台詞だけで劇が進む話劇で、劇の最後は登場人物の死など悲劇的な結果に終わる。

抗日戦争勃発後は、『黒字二十八』(宋之的と合作 1938年)、『蛻変』(1939年)発表、抗日の希望をうたいあげそれまでの作風と変化をみせる。しかし『北京人』(1941年)で再び以前の悲劇的作風に戻る。1942年には巴金『家』を脚色。

1949年中華人民共和国成立後は中国に残り、北京人民芸術劇院院長、中央戯劇学院副院長などの役職に就く。同時に、それまでの作風を自己批判し、1951年に『雷雨』『日の出』『北京人』の内容を大幅に改めた開明書店版『曹禺選集』を発行。しかし1954年には、ほぼ原型に戻す。また、協和医学院の医師の思想改造に取材した『明るい空』(明朗的天 1954年)を発表。その内容は、中華人民共和国の現実を賛美するものであった。その後は、歴史劇『胆剣篇』(梅阡于是之と合作 1961年)、『王昭君』(1978年)を発表。この後は戯曲の発表はなかった。文化大革命終結後は、中国文連主席などを歴任。

曹禺の中華民国期の戯曲『雷雨』『日の出』『原野』『北京人』は中国話劇を代表する作品とされ、発表から今日まで中華人民共和国だけでなく中国語文化圏のあらゆる地域で上演が続いている。

主な日本語訳[編集]

  • 中国現代戯曲集・曹禺特集【上】『雷雨』(飯塚容訳)、『日の出』(中山文訳) 晩成書房 2009
  • 中国現代戯曲集・曹禺特集【下】『原野』(飯塚容訳)、『北京人』(内山鶉訳) 晩成書房 2009

参考文献[編集]

瀬戸宏『中国演劇の二十世紀 中国話劇史概況』(東方書店 1999年)