早坂文嶺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
早坂文嶺による武者絵。下部に、トンコリ(五弦琴)を弾いて唄うアイヌが描かれている

早坂 文嶺(はやさか ぶんれい、寛政9年(1797年) - 慶応3年4月3日1867年5月6日))は、江戸時代後期から末期に活躍した日本の絵師アイヌ絵を残したことで知られる。一時は四条派の絵師・前川文嶺と同一人物とも言われたが、現在では別人だとわかっている。

略伝[編集]

山形城下で活躍していた表具屋・義川斎定信の子として生まれる。義川斎定信は、表具師の傍らでこの頃の山形では人気の高い絵師だったらしく、現在も山形市周辺に相当数の作品が確認されている。定信と文嶺の作品には共通する画風が見られ、父から絵を習ったと推測される。父のもとで山形の城下町で成長し、城下の旅籠屋で表具師を家業としていた。弘化年中に松前藩に士分として仕え[1]松前昌広に愛されたともいわれる。ただし同時代の史料では町年寄支配の町人として記載されている[2]。墓は松前町正行寺。

最も得意としたのは仏画とされるが、今日ではアイヌ絵の絵師として注目され、また武者絵にも佳作が残っている。主にアイヌ絵に使われる「二司馬」の号は、男性への敬称にあたるアイヌ語「ニシパ」に漢字を当てたものとされる。現在、文嶺の作品は30数点ほど確認されている。

なお後に文嶺の子・元長は、松前藩政を尊王に変えるため、慶応4年(1868年)にクーデターを起こした正義隊に名を連ねている。

作品[編集]

  • 「農夫図」 紙本著色 松前城資料館蔵
  • 「三十三観音」 紙本著色 松前町・龍雲院
  • 「地蔵大菩薩拾番之図」 絹本著色 龍雲院蔵
  • 「徘徊発句合(句額)」 板著色一面 龍雲院蔵 弘化5年
  • 「十念図」 松前町・法源寺
  • 「武者図」 絵馬 板著色 松前町・徳山大神宮
  • 「アイヌ図」 紙本著色 函館市中央図書館
  • 「アイヌ狩猟図」 紙本著色 函館市中央図書館蔵
  • 「蝦夷人飲酒之図 紙本著色 北方文化博物館寄託
  • 「アイヌ絵巻」 紙本著色 3巻 東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館蔵
  • 「オムシャ図」 絹本著色 たばこと塩の博物館

脚注[編集]

  1. ^ 河野常吉編『北海道史人名字彙』北海道出版企画センター、1979年。
  2. ^ 松前藩の町年寄を勤めた林家の文書『松前町年寄詰所日記并番日記』。

参考資料[編集]

  • 林昇太郎著 故林昇太郎氏遺作論集刊行会編 『アイヌ絵とその周辺 -林昇太郎美術史論集-』 北海道出版企画センター、2010年5月、149-188頁、ISBN 978-4-8328-1004-4
  • 新明英仁 『「アイヌ風俗画」の研究 -近世北海道におけるアイヌと美術』 中西出版、2011年 ISBN 978-48087-0817-7

関連項目[編集]