新聞記事

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新聞記事』(しんぶんきじ)・『阿弥陀池』(あみだいけ)は古典落語の演目の一つ。もともとは明治40年(1907年)ころに上方桂文屋が作った上方落語の演目で、桂文屋が創作した当時は『新作和光寺』の題で演じていた。後に再演した初代桂春團治が、現在のギャグの多くを取り入れ十八番とし、以降、『阿弥陀池』として現在のスタンダードな演じ方に変わった。。昭和初期に初代昔々亭桃太郎が改作した上で東京に移植した。初演は1906年4月8日の『桂派落語矯風会』。

主な演者は上方では、3代目桂米朝2代目桂枝雀桂坊枝3代目桂歌之助など、東京では、4代目柳亭痴楽3代目三遊亭圓歌などがいる。


注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。免責事項もお読みください。


目次

[編集] あらすじ

[編集] 上方版

アホが隠居の甚兵衛はんに「新聞読みや。」と諭される。

「何でだすねん。」

「ええ若いもんが、新聞読まな。この前も『号外や』いうてんの『妨害や!妨害や!』て云うてたやろ。・・・三十五にもなってからに。」

「だれが三十五だす。」

「三十五ちゃうのかいな。」

「何云うてなはんねん。三十八やがな。」

「よけいアホや。」


「そんなもン。わたい新聞読まいでも世ン中のこと知ってるわ。」とアホが意地を張るので、

「ほんなら、お前和光寺知ってるか。」

「知りまへん。」

「ほれ、この前松島の帰り夜店ひやかしたやろ。」

「ああ、それやったら堀江の阿弥陀池ちゃいますか。」

「そうや。ホンマの名は和光寺、阿弥陀池は境内にある池の名前で、尼寺や。」

「尼寺て何でやす。」

「女の坊ンさんを尼さんという。その尼さんがいなさるよって尼寺じゃ。」

「ははあ。ほたら男の坊ンさんは西宮か。」

「これ、神戸行きの電車乗ってンのやないで。…その和光寺にこの前、賊が入ったの知ってるか。」

「へ!? わたいそんなん知りまへんがな。」

「ほら見て見イ。新聞にちゃんと書いたある。せやから、新聞読まなあかんのや。」と話をし出す。

和光寺のいる戦争未亡人の尼さん。ある晩に忍んで来た泥棒が「金を出せ」とピストルを突きつけるが、落ち着き払った尼さんが言うには、「過ぎし日露の戦いに、私の夫・山本大尉は乳の下、心臓を一発のもと撃ち抜かれて名誉の戦死を遂げられた。同じ死ぬなら夫とおんなじ所を撃たれて死にたい。さぁ、誤(あやま)たずここを撃て。」(桂文屋が創作した時期が日露戦争の後であり、実際に未亡人も多かった。)

「それを聞いたこの泥棒、三尺下がって平伏したんや。」

「あはあ。座敷臭かったやろ。」

「何じゃそれ。」

「三尺下がって屁エこいた。」

「何云うとるねん。『私はかつて山本大尉の部下で、山本大尉は命の恩人とも言うべき人、その恩人の奥さんのところへピストルを持って忍び込むとは無礼の段、平に御免…』ピストル己の胸に当てて、うつとこを、尼さんその手を押さえ『おまえが来たのも仏教の輪廻。誰かが行けと教えたのであろう。』『へぇ、阿弥陀が行けと言いました。』」

「もし、それ何でんねん。」

「これは、噺家がしゃべっていたんや。(初代春團治は「曽我廼家の喜劇や」と演じていた)」

「もし、あんじょう言うてエな。」

「せやから、新聞読まなあかんのじゃ。こうして騙されるねん。もし、あんた嘘言うたらあかん。そんなこと新聞に載ってまへんがな。と言えるやろが。」

と、こんな調子で、尼寺がある場所と説明された、阿弥陀池のほとりと掛けたにわか話()で騙されてしまう。

その後も、『米屋が…』という東京版と同じようなにわかに騙されてしまう(ちなみに、こちらで使われるオチは、「『首を切り落として、の詰まった箱にポィ!』この話、聞いたか?」「聞いてない」「聞かんはずじゃ。『糠に首』や!〔効かんはずじゃ。糠に釘〕」という駄洒落)。

気が収まらない男、だれぞ「糠に首」で引っ掛けてやろうと知り合いの家に乗り込んでいく。だが、しどろもどろで一向にうまくいかない。

「おやっさん。盗人に馬乗りなって、縄かけようとしたんやが、・・・」絶句してしまう。

「おい。どないしたんや。」

「せやから、云うがな。」

「何をいな。」

「それ、その、・・・こう・・・なあ?」

「名、何やねん。」

「いや、生麩は焼き腑の元。」

「何を!」

「生煮えは半煮えのもと・・・」

「これ!それも云うなら『生兵法は大怪我の元』とちゃうんかいな。」

「アッハ!その元!味の素!」

「ンな、あほな。」

と、言葉が思い出せず、とんちんかんなやりとりになってしまう。(このあたり、初代桂春團治のレコード音源では、まさにギャグの機関銃の様相を呈しており、現在も春團治の演出によっている。)

「賊がなあ。おやっさんのシンネコついたんや。」

「なんやねん。そのシンネコて。」

「いや…そやあらへん。シントラでもなし、シンサルでもなし…ああ。お前、鼻の長いの知ってるか。」

「何じゃイ。藪から棒に。鼻の長いのなら天狗さんじゃろ。」

「シンテング…こら、ちゃうわ。いいえな。それ、もっと、あの動物園におる。」

「あんじょう物言え。そら、象やろが。」

「ああ。そうそう。シンゾウ。心臓。オオシンゾ。(おお、しんど)」

「な、あほなこと言いなや。」

その後も、話の中で十三西宮へ行ったり、盗人に夜這いに行ったりと散々だったが、ようよう話の最後までくると、自分が騙されたのと同じように、

「この話、聞いたか?」と聞く。

ここで「いや聞かん」と返してくれれば、「聞かんはずじゃ。糠に首。」と引っ掛けることができたのだが、実際には

「今おまえから聞いた。」と言われ、

「聞いたらいかんがな…。ほなさいなら。」と帰ってしまう。

最後の最後で「糠に首」と引っ掛けることができなかった男、「何であかんねやろ。ハハア。あいつわしと甚兵衛はんの話きいとったな。ようし、隣町の徳さんとこ行ったろ。」と、今度は隣町の友人宅にまで乗り込んでいく。今度は米屋のにわか話を何とかとちらずに語るのだが、米屋の若い衆が殺される段になると、実は、その家のかみさんが米屋の若い衆の親戚で、「田舎へ電報を打て」(「葬式を出さねば」)と物凄い騒ぎになってしまう。

「もし、ちゃう!ちゃう!嘘や!嘘やがな!」と慌てて白状すると、「何!嘘!こら喜イ公、おのれの知恵やあろまい。誰が行けっちゅうたんや?」

「あぁ、それやったら『阿弥陀が行け』と言ぅたんや」

[編集] 江戸版

[編集] 前編

岩田の隠居がお茶を飲んでいると、そこへ馴染みの熊五郎がやってくる。

しばらく茶飲み話をするうち、隠居が突然こんな事をいった。

「お前さん、日ごろから新聞は読むかい?」
「読まなくても、大抵のことはわかりますよ!」
「そうかい…」

ここで隠居、急に声のトーンが下がった。

「実はな、向こう横丁にある、天ぷら屋の竹さんの所に泥棒が入ったんだよ…」

竹さんが寝ていると、枕元でガサガサと物音がした。慌てて電気をつけると、そこに居たのは身長2m50㎝はあろうという大男!

「そいつが出刃包丁を突きつけてな、『金を出せ!』って脅すんだよ…」

素直に観念すればいいのだが、竹さん、なまじ剣術の心得があるものだから、護身用の樫の棒を取るとピタリと正眼に構えた。
泥棒は逆上して、ドーンと突いてくる。竹さん、ヒラリとをかわして馬乗りになり、泥棒を縛ろうと…。

「その途端、泥棒が隠し持っていたバリソンで胸元をグサッ! 竹さん、後ろに倒れて一巻の終わりだ」

家は右往左往の大騒ぎで、そのすきに泥棒は逃げ出した。
しかし、悪いことはできないもので、五分たつかたたないうちにアゲられたのだという。

「凄い事になりましたね。しかし、よく犯人がすぐに捕まったものだ…」 「捕まる筈だよ。入った家が、天ぷら屋…」

何のことはない、落とし噺でからかわれただけ…。

実はこの隠居、日ごろから熊さんが『世に知らぬ物なし』と威張っているので、一つ懲らしめてやろうと待ち構えていたのだ。

[編集] 後編

熊五郎、これを聞いてすっかり感心し、自分もやってみたくなった。
早速知り合いの家に飛び込み、「天ぷら屋の竹が殺されたよ」とやってみるが、そこへ本人が出てきて大騒ぎ。

懲りずにもう一人のところへ上がり込み、強引に殺人事件を吹きまくった。
しかし、話していくうちに、ところどころおかしくなっていき…。

泥棒の身の丈が2kg10㎝になったり、出刃包丁が出てこないで肥後守になったり。

挙句の果てには、『竹さんがヒラリと体をかわした』のタイが思い出せなくなり、連想ゲームまでやってのける。

神田明神恵比寿様→釣竿→釣り針→魚→

「で、竹さんはその『タイ』をかわして馬乗りになり、泥棒を縛ろうとした。その途端、泥棒が隠し持っていたバーサンで…」 「それ、『バリソン』の事か?」 「そうそう…って、『バリソン』って何のことだ?」
「知らずに言っていたのか? バタフライナイフの事さ」
「そのナイフで胸元をグサッ! 竹さん、後ろに倒れて一巻の終わりだ」

ようやく最後の『五分たつかたたないうちに…』というところまで行き着いたが、肝心の「あげられた」が出てこない。
四苦八苦していると、向こうが先に「アゲられただろ。天ぷら屋だからな」とやってしまった。

「この野郎! それが言いたくて、わざわざ連想ゲームまでしたのに…」 「知るかよ。ところでおめえ、その話の続きを知ってるかい?」
「え?」
「竹さんのかみさんが、『もう二度と亭主は持たない』とになったんだ」
「どうして?」
「もとが天ぷら屋のかみさん。すぐに、を着けたんだ」

[編集] その他

  • 桂文屋が初演した時のこと、サゲを待ち構えていた前座が、前半部の「へえ。あみだが行けと言いました。」というのをサゲと思い、おもわず下座で太鼓をドンドンと鳴らしてしまった。高座の桂文屋が慌てて「ちゃう、ちゃう。まだつづきあンねン。」と怒鳴って噺を続けた。
  • 3代目圓歌によると、教えられたとおりに実践しようとし、結局ハチャメチャにしてしまう『オウム』と言うパターンの話であるため、『手本』となる前半部分の演じ方が難しいところなのだそうだ。
  • ギャグも豊富で、筋立ても面白いので、最近は若手も手がけるようになった。
  • 上方版で便所の壁に新聞を貼るくだりは3代目桂米朝が工夫した。
  • 後半部分の馬乗りになるところを6代目円楽は「牛乗りでもなく・・・先代の円楽に似たの」などと演じている。

[編集] 関連書

  • 桂米朝『米朝ばなし 上方落語地図』(文庫、講談社、1984年11月)
  • やまだ りよこ『上方落語家名鑑ぷらす上方噺』(単行本、2006年9月)
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