新穂城

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新穂城
新潟県
城郭構造 平城
築城主 新穂有時
築城年 14世紀
主な城主 新穂氏、本間貞有、本間正明、賀茂本間氏(府内長尾氏、上杉氏)
廃城年 1589年(天正17年)
遺構 曲輪、横堀(水堀)
指定文化財 新潟県指定史跡
埋蔵文化財
包蔵地番号
佐渡市No.617[1]
再建造物 なし
位置 北緯38度00分52.9秒 東経138度24分26.8秒 / 北緯38.014694度 東経138.407444度 / 38.014694; 138.407444
地図
新穂城の位置(新潟県内)
新穂城
新穂城
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新穂城(にいぼじょう)は、佐渡国賀茂郡[2]新穂、のちの新潟県加茂郡下新穂村[3](現・新潟県佐渡市下新穂字郷内)にあった日本の城平城)。1973年(昭和48年)3月29日、新潟県指定史跡に指定された[4]

概要[編集]

新穂川と大野川の下流域沖積地帯にいくつかの単郭単濠の館跡が分布している。新穂城は一辺約100メートルの正方形で、館を取り巻いていた土塁の大部分は失われているが、幅20~25メートルの水堀が現在も周囲を取り巻いている。また水堀の内側は「城の内」と呼ばれ、周囲には「表」「横町」「中道」等、城郭に関わる地名が残されている[5]。賀茂本間氏は長尾為景[6]・上杉謙信とは良好な関係だったが、1589年(天正17年)、佐渡を直轄化しようとする上杉景勝の侵攻により新穂城も陥落し、廃城した[7]

遺構・復元建造物[編集]

  • 曲輪
  • 横堀
  • 「新潟県文化財 新穂城跡」石碑と案内板[8]

周辺史跡・関連城郭など[編集]

  • 大野城 - 戦国期の大野殿、本間十郎高納の居館ではないかと思われる[9]
  • 青木城 - 県史跡。佐渡百選の60番。

交通[編集]

  • 両津港より県道65号線経由で約10分
  • 新穂の市街地にある日吉神社前交差点より県道237号線を西へ約800メートル進んだ北側にある。
    • 駐車場はないが、城跡の南西隅に路肩が広くなった場所があり駐車は可能。

脚注[編集]

  1. ^ 「遺跡等の一覧(新穂地区)」佐渡市公式HP
  2. ^ 1878年(明治11年)より明治政府の公式文書では「加茂」に統一。
  3. ^ 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により佐渡郡に統合。「角川日本地名大辞典15 新潟県」
  4. ^ 新潟県の文化財一覧 (PDF) - 新潟県、2020年3月5日閲覧。
  5. ^ 佐渡市文化財室
  6. ^ 上杉顕定とその子・憲房により佐渡に敗走した為景は、永正7年(1510年)には雑太・羽茂・賀茂の佐渡衆を加え反攻に転じ、海上から越後に再上陸した。「上杉家文書」
  7. ^ 新潟県指定 記念物:新穂城跡 佐渡の文化財 - 佐渡市、2020年3月5日閲覧。
  8. ^ 佐渡市教育委員会
  9. ^ 『新穂村史』

関連項目[編集]