恩田正一

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恩田 正一(おんだ しょういち、1907年明治40年)7月25日-1989年平成1年)8月20日)は日本の政治家社会運動家。元群馬県議会議員、元渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会長。

略歴・人物[編集]

1907年(明治40年)7月25日、群馬県に生まれる。1934年昭和9年)法政大学専門部法律科を卒業する。

群馬県毛里田村農業協同組合長、群馬県養蚕農協連合会会長を歴任し、1947年(昭和22年)に群馬県議会議員に当選する。

1958年(昭和33年)に毛里田村鉱毒根絶期成同盟会(のちに渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会)を結成、会長に就任する。1962年(昭和37年)12月に会長を辞任、政府の水質審議会第6部専門委員となって、行政側、学者側の中で苦闘する。[1] 1967年(昭和42年)、専門部会は渡良瀬川の水質基準濃度で0.06ppmという甘い水準で決定、さらに同盟会も切り崩されて孤立し、専門委員を辞任した。[1]

1989年(平成1年)8月20日、肺炎にて死去、82歳。

渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会[編集]

旧毛里田村は古河鉱業足尾銅山鉱毒被害地の一つで、1958年(昭和33年)5月30日に廃棄物堆積場の源五郎沢が決壊して被害が発生する。鉱毒を発生源で防止することなどを運動方針として毛里田村鉱毒根絶期成同盟会が結成され、その後、3市3郡に運動は拡大し、同年8月、渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会が結成される。

共著[編集]

参考[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 『現代物故者事典1988~1990』

関連項目[編集]