工業暗化

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'白い体色を持つオオシモフリエダシャク Biston betularia f. typica'
黒い体色を持つBiston betularia f. carbonaria

工業暗化(こうぎょうあんか、industrial melanism)とは、「19世紀後半から、ヨーロッパの工業都市が発展するにつれて、その付近に生息するガ()に暗色の変異が増加した[1]」という概念や説明方法を指すための用語である。

概説[編集]

「工業暗化」の例としては、しばしばオオシモフリエダシャクen:Biston betularia)が言及される[1]。最初に注目されたのはイギリスであったが、その後はヨーロッパの各地で見られるようになった[1]とされる。E.B.フォードらの1965年の研究によって、田園都市では淡色型の方が目立ちにくくて小鳥に捕食されずに生き残るのに対して工業地帯では煤煙でまわりが黒くなっているため暗化型のほうが目立ちにくいためだ、と考えられている[1]。そして「工業暗化」は、集団の遺伝的構成の推移を示す顕著な例として考えられている[1]。また、H.B.P.ケトルウェルは、1957年、突然変異を示す種の多くでは、暗化は単一の優性対立遺伝子の支配で生じている、とした(主張した)[1]

「工業暗化」は、生物の進化の教科書などで、そして進化論の中でも自然選択の面を強調して説明する時に、分かりやすい例としてしばしばワンセットで言及される事例となっていた。

ただし、ケトルウェルが行った色彩によるカムフラージュを根拠として持ち出す説明はおおむね正しくはあるものの[2]、従来信じられていたほどには、ケトルウェルが行った実験は彼の説明の正しい証拠になっているわけではないことが、ケンブリッジ大学遺伝学科のマイケル・マジェラス(Michael E. N. Majerus、進化遺伝学の大御所)による詳細な分析によって1998年に明らかにされた[2]。また、ケトルウェルの実験や証拠には不誠実なところがあり、科学における不正行為を行っていたと指摘されることがあり、その点では議論を呼ぶことがある。工業暗化について従来入門書や教科書などに書かれて信じられてきた内容や物語については、学問的に見て幾分修正の必要ある点も含まれていることが、ここ数十年で明らかにされてきている。

なお、蛾以外の生物の体色が暗化した現象についても、この工業暗化の説明やそれに類似した説明が持ち出されることがあるが、そうした説明は必ずしも正しいわけではない[1]

オオシモフリエダシャクの事例に関する報告と初期の物語[編集]

もともと、ほとんどのオオシモフリエダシャクは明るい体色をしており、明るい色をした木やコケの上では効果的な保護色となっていた。

暗化したオオシモフリエダシャクが存在するとした最初の報告は1848年のものである[2]。1895の報告では、98%のそれが暗化している、と報告された[2]。このオオシモフリエダシャク個体群の劇的な変動は関心を集め、研究対象となった[2]

当時は産業革命の初期にあたり、イギリスのロンドンからマンチェスターにかけての地域では、石炭を燃やすことによって生じる大気汚染のため、コケのほとんどが死に絶え、木の樹皮はすすで黒く汚れていた[2]。 研究者のうちの何名かが、淡色のそれは田舎に多い傾向があり、暗化したそれは工業化された地域に多いと述べた[2]。 すると(想像に難くないことだが)多くの研究者が「黒くなった景観においては、暗化型のほうが生きのびるうえで有利なのだ」という考え方に飛びついた[2]。そして環境汚染に応じて個体群が暗化(黒化)することを指す「工業暗化」の語が作り出された。

この現象は単純でわかりやすいために、オオシモフリエダシャクは自然選択による進化を説明したり例示するときに使われる代表的な例となった[3]

仮説の提唱[編集]

遺伝学においては、進化の定義の一つは「遺伝子プールにおける対立遺伝子の頻度の変化」であり[4]、 世代交代を経ることで、遺伝的に受け継いだ個体群の特徴に、変化が起きることである。自然における進化は様々な要因によって起こりうるが、おおむね、主にふたつのメカニズムによって起きる、とされている。そのひとつは自然選択で、個体が持つ特徴によって生き延び繁殖に成功する可能性が異なる時におきる、とされる。もうひとつは遺伝的浮動で、ランダムサンプリング効果の蓄積によって対立遺伝子の頻度が変動することである。

J.W.タットは自然選択に関して1896年に「鳥による捕食率の差」仮説を提唱した。黒い個体は葉状コケ(葉状地衣類)に被われていない黒い幹の上では優れたカモフラージュとなる。一方、明るい個体はコケに被われた白い幹の上で優れたカモフラージュとなった。その結果、うまくカモフラージュされていない個体は鳥に発見されやすく、よく食べられ、数が減った。

1924年にJ・B・S・ホールデンは単純な一般選択モデル( general selection model)を用いて、観察されたようなオオシモフリエダシャクの進化に必要な選択上の有利さを計算した。彼は1848年に暗色個体の割合が2%で、1895年には95%になったと仮定し、その結果、暗色個体は明るい個体の1.5倍の有利さ(選択係数0.3以上)を持っていたことがわかった。モデルの問題を考慮しても、変化の速度があまりに速かったため、遺伝的浮動を除外しても合理的だと考えられた[5]

オオシモフリエダシャクでは黒い体色にかかわる対立遺伝子が優性で、白い体色の対立遺伝子は劣性である。これは白い個体の表現型(見たり検査することで確認できる特徴)がホモ接合遺伝子型(同じ対立遺伝子をふたつ持つ)であることを意味する。これは個体群の暗化がなぜそれほど急激に起きたかを説明する助けとなる。オオシモフリエダシャクはまた、一見すると区別ができないイギリスの個体(f.carboniana)とアメリカの個体(f.swettaria)の暗化の発生について、平行進化のモデルでもある。遺伝的分析は、どちらも黒い表現型が常染色体の優性な形質として受け継がれることを示している。この表現型が単一の遺伝子座にある同位対立遺伝子によって生み出されていることは、交雑によって示すことができる[6]

環境の変化[編集]

汚染されていない木では白い個体の方がうまくカモフラージュされており、捕食から逃れやすい。

産業革命の前は、オオシモフリエダシャクのほとんどは、明るい地にわずかな黒いまだら模様を持つ個体ばかりだった。この白い個体は明るい色のコケや樹皮の上にうまく溶け込むことができ、いっぽう黒い個体はまれで、鳥に見つかりがちだった。明るい色のコケや木が一般的だったおかげで、白い個体は捕食者の目から逃れるのにずっと効果的だった。黒い対立遺伝子の頻度は0.01%程度だったと考えられている。

イングランドで起きた産業革命の最初の数十年で、ロンドンからマンチェスターまでの田園地帯は新たに建てられた石炭火力工場から排出されるススで覆い尽くされた。明るい色のコケのほとんどは二酸化硫黄のために死に絶え、木はススでおおわれた。このため鳥が白い個体を捕食する機会は増大した。もはや白い個体は汚染された環境ではうまく溶け込むことができなかった。対照的に、黒い個体はススに被われた木でうまくカモフラージュされた[2]

白い個体は生み出され続けたが、そのほとんどは生き残ることができなかった。一方、黒い個体は栄えた。その結果、オオシモフリエダシャクの遺伝子プールの中では、黒くて優性の対立遺伝子の頻度が増加していった。19世紀中盤までには黒い個体の数は顕著に増えていた。1895年までにマンチェスターの個体群での黒い個体の割合は劇的に増加し、98%にまで達した[2]。工業化の結果として起きたために、この現象は「工業暗化」として知られるようになった。

この蛾の頻度の急速な変化はダーウィンの人生と同時期に起きたが(最初に観察されたのは1848年だった)[7]、タットがはっきりと自然選択と結びつけ、現代的な理解が始まったのは1896年、ダーウィンの死から14年後のことだった。しかし近年の研究[8] はタット以前にもこの現象が自然選択と結びつけられていたことを報じている。イギリスの昆虫学者アルバート・ファーン(1841-1921)は1878年11月18日にダーウィンに手紙をかき[9]、観察したシャクガの一種Gnophos obscurata(現在のCharissa obscurata)の体色の変異について知らせている。ファーンは手紙で異なる体色の多型が存在すること、それぞれがどのような生息環境で見つかるか(黒い個体はピートの上で、白い個体はチョークの崖の上で)に触れ、「適者生存」を指してはっきりとこの変異について述べた。

現代ではヨーロッパと北アメリカのより厳しい大気環境基準によって、黒い個体はまれになり、改めてオオシモフリエダシャクの個体群は適応的な変動を示した[3]

表現型頻度の増減[編集]

暗化はヨーロッパと北アメリカのオオシモフリエダシャク個体群でおきた。暗化個体の割合の増加に関する情報は乏しい。その後の割合の低下は罠を使って計測したチョウ学者の調査によってより詳しく知られている。

黒いオオシモフリエダシャクは1811年に発見されたが、これはおそらく、繰り返し起きる突然変異による突発的な変異個体とみなすことができる。暗化型(f. carboniana)と見なせる最初の個体は、1848年にマンチェスターで捕獲され、16年後の1864年にR.S.エドルストンによって報告された。エドルストンは1864年までにマンチェスターの彼の庭では黒い個体がより普通に見られるようになったと述べた。スチュワードは地域ごとの最初の記録とするために、データを集め、黒い個体は一度の変異とその後の分散によるものだと推測した1895年までにマンチェスターにおける暗化個体の頻度は98%にまで達した[10]

1962年から現在に至るまで暗化型の頻度は着実に減少している。その減少は、科学研究の厳格化にともなって、増加したときよりも正確に計られた。特にバーナード・ケトルウェルは1956年に全国的な調査を行った。1996年には同様の調査をブルース・グラントが[11] 、2003年にはL.M.クックが行った[12]。同様の結果はアメリカでも見つかった。蛾の黒い変異個体は日本では見つかっていない。これは日本のエダシャク蛾が工業化された地域に生息していないからだと考えられている。

捕食実験[編集]

食虫性の鳥、シジュウカラ

1896年にジェームズ・タットは黒い個体が増加した理由について、鳥に捕食される率が体色によって異なるからだと仮説を立てた。スス汚染された地域では黒い表現型が有利だが、汚染されていない地域では白く明るい個体が有利かもしれない[13]。オオシモフリエダシャクの捕食についてのさまざまな実験が行われ、いずれもこの仮説を支持した。

オオシモフリエダシャクの実験でもっとも有名なのは、E.B.フォードの指導下で行われたバーナード・ケトルウェルのものである。フォードはナフィールド基金から実験のための資金援助を受けるのに協力した。ケトルウェルの実験のうちの一つでは、オオシモフリエダシャクは大きな鳥小屋(18m×6m)の中に放たれ、シジュウカラについばまれた。 1953年にバーミンガムのCadbury Nature Reserveで行われた実験では、エダシャクはマーキングされて放たれ、その後集められた。彼はこの汚染された森で白い個体が優先的に捕食されていることに気づいた。このようにケトルウェルは汚染された生息地では、黒い表現型が生き残りに重要であることを示した。1955年にはドーセット州の汚染されていない森で、それから再びバーミンガムの汚染林で、同様の実験を繰り返した。またニコ・ティンバーゲンを伴って実験を行い、共同でフィルムを撮った。他の研究者の調査でも同様の結果が明らかとなり、1996年にはヨーロッパと北アメリカで暗化個体の頻度と汚染レベルの間の相関関係が見つかった[13][14]

生物学のフィールド研究における実験は、不自然さを伴うという点で常に問題を抱えている。実験は、実用性、コスト、そしてこのケースではフィールド研究の歴史とのバランスをとらねばならない。最も重要な点は、実験は有益な統計データを生み出すことである。以前に行われたこの種の実験の唯一の例は、R.A.フィッシャーとE.B.フォードによるスカーレットタイガーモス(1947)である。

遺伝学者マイケル・マジェラスは1998年の本"Melanism"でケトルウェルの実験手法を批判した[13]。しかしこの批判がレビューでゆがめて伝えられ、創造論者のキャンペーンで話が取り上げられたときに、新たな論争と批判がわき上がった。ジャーナリスト、ジュディス・フーパーは”Of Moths and Man”でケトルウェルが科学的な不正を行ったと示唆した。ケトルウェルが残した論文を慎重に調べたラッジとヤングはフーパーの告発が不当なものであるとあきらかにした。「フーパーはこの重大な告発を支持する証拠を一つも示していない」[14][15]

2000年にマジェラスは新たな実験を計画した。実験の目的はオオシモフリエダシャクが一日を通してどこにとまるのかを調べ、ケトルウェルの実験手法に対するさまざまな批判が彼の結論の質的な妥当性を改めることになるのかを確かめることであった。

翌年、マジェラスは新たな捕食実験を試した。この実験はケトルウェルが蛾を放つのに用いた場所があまりに少なすぎるという批判を検証するためにデザインされていた。ケトルウェルの方法では蛾の密度が高くなりすぎたかもしれない。蛾は枝よりも幹の上にリリースされた。昼間に放たれた蛾は隠れるのにもっとも適した場所を見つけられなかったかもしれない。捕獲された野生の蛾と研究室育ちの蛾の行動は異なるかもしれない。また地域的な適応のために他の場所で放たれれば異なる行動をとるかもしれなかった。これらの疑問に応えるためにはより厳密な実験が必要であった。 2001年から2007年にかけてケンブリッジで行われた研究でマジェラスは蛾が自然に止まる位置を記録した。実験に使われた135匹の蛾の半分以上が枝に止まり、そのほとんどは枝の下部で、37%が木の幹でほとんどが北側に、12.6%が小枝の上下に止まった。

ジュディス・フーパーとのやりとりの後、マジェラスはコウモリによる捕食が結果に影響を与えたかどうかを調べる実験を追加した。コウモリは視覚ではなくエコーロケーションによってエサを追いかける。そしてコウモリはどちらの色の蛾も等しく捕食することがわかった。マジェラスはまた蛾を食べている鳥の数種を観察し、これらのデータ全体から、彼は鳥の差別的な捕食がケンブリッジの調査期間における暗化個体の相対的な頻度低下の主要因であると結論した[13]。マジェラスは彼の実験結果がタットとケトルウェルの結論を完全に支持すると述べた。そして「オオシモフリエダシャクの増減がもっとも視覚的にインパクトがあり、進行中のダーウィン的進化を簡単に理解できる例なら、教えられるべきだ。結局のところ進化の証拠を提示している」と述べた[16]

代替仮説[編集]

オオシモフリエダシャクの工業暗化の代替仮説は主に1920年代から1930年代にかけて提案された。科学界における反対派、特にサージェントら(1998)は工業暗化の自然選択による説明に異議を唱えたが[17]、オオシモフリエダシャクの研究者は異議に納得していない。

遺伝子頻度の変化は定義上、自然選択、変異、他地域からの移住、遺伝的浮動によって引き起こされる[4]。しかし観察された変動の大きさを説明できるのは自然選択だけである。集団遺伝学からは、遺伝子頻度の変化が起きなければ進化が起きないことがわかる。それぞれの遺伝子頻度をpとqで表し、たとえばp=0.6でq=0.4とする。そして個体群サイズが200から100まで減った場合でも、両者が同じだけ捕食されたとすると遺伝子頻度はp=0.6、q=0.4のままである。

化学的誘発説[編集]

ジョン・ウィリアム・ヘンズロップ=ハリソン(1920)はタットの捕食仮説を否定した。そして代わりに汚染物質が生物の体細胞と生殖細胞の変化の原因となり得るという仮説を提唱した。この仮説はおそらく1890年代に提唱されていたラマルキズムの一種にルーツを持っている。歴史的な文脈に注意することは重要である。

ヘイズブローク(1925)は最初にこの仮説の検証を試みた。彼は大気汚染がチョウ類の生理に影響を与え、黒い色素の過剰生成を引き起こすと主張した。彼は蛾のまゆを様々な種類の汚染ガス(たとえば硫化水素アンモニアピリジン)に曝した。その研究で8つの種が使われた。そのうち暗化しなかった4つの種はチョウだった。フォード(1964)はヘイズブロークの例で示された変異型は、暗化を示しておらず、またヘイズブロークは遺伝学を理解できなかったと主張した。

ヘズロップ=ハリソン(Harrison&Garrett 1926, Harrison 1928)は工業地帯の黒い個体は捕食による選択のためでなく、「突然変異圧」のためであると主張した。彼は捕食を無視できる要因と見なした。鉛やマンガンは大気中の汚染粒子に含まれていた。彼はこれらがメラニン生成の遺伝子に変異を起こすが、その他の要因ではないと主張した。ヘンズロップ=ハリソンはSelenia bilunariaTephrosia bistortataを用いた。幼虫にこれらの成分を含んだ葉を食べさせると暗化が起きた。

だが同様の実験を行ったヒューズ・マッケンニー(1932)やトマセンとレムシェ(1933)はこの現象を再現することができなかった[18]。統計学者で遺伝学者のロナルド・フィッシャーはヘンズロップ=ハリソンの操作が不適切であったことを示した。しかしむしろヘンズロップ=ハリソンの仮説はブリーディング実験によって歪曲されたようである。より詳細な証拠は暗化の生化学研究から得ることができる。

批判と論争[編集]

創造論者は暗化型の頻度の増加そのものや、あるいはその重要性に異議を唱えた。

近年、進化の例としてのオオシモフリエダシャクは、創造論者インテリジェントデザイン支持者の攻撃を受けるようになった。彼らは工業暗化が進化の証拠として信頼できるものではないと主張する。創造論者は「オオシモフリエダシャクのお話」が小進化を示しているだけで、種分化や大進化を示していないと述べている[19]。生物学者はこの例が、種内での進化を引き起こす自然選択の例にすぎないと同意する。この例は、急速で明らかに適応的な変化であるが、進化の理論全体を証明するものではないと認めている[20]

しかし創造論者は種族(kind)の中で小進化は起きるとは認めるが、大進化は起きないと主張する。生物学者にとっては小進化と大進化の間の境界線はない。現代進化生物学において、種内の進化から種分化、それ以上のレベルにおける大進化まで、同じメカニズムが働いており、唯一異なるのは時間とスケールだけであると考えられている[21][22]

もう一つのありふれた、しかし根拠のない批判は、多くの教科書で用いられている幹に張り付いたエダシャクの写真である。これらの写真は準備されたものである(死んだ蛾を並べて幹にピン留めしてある)。この写真は、「研究すべてが演出されている」という考えと結びつけられた。そして小さくて素早い動物をイメージ通りに撮影することの困難さから、教科書の写真では死んだ昆虫が用いられることが多いこと、現実には研究はそのような演出された写真ではなく観察されたデータに基づいて行われていることは無視された。マイケル・マジェラスの本の写真は自然の中の生きている蛾が使われており、演出されていない。その写真は教科書の「演出された」写真と同じように見える[23]

そのうえ、一つの実験では死んだ蛾が木に貼り付けられたが、このような方法は仮説全体のうち個々の要素を調べるための、多くの異なる実験の一つである。この実験は自然の状況を正確に再現することが目的ではなかった。蛾の数(密度)が鳥の採餌行動にどのような影響を与えることがあるのかを調べるために用いられた[24]

ケトルウェルの古典的な研究手法は、ネイチャー誌上において、サージェントらによる1998年の分析と対比させたマジェラスの本のレビューで、生物学者ジェリー・コインによって疑問を呈された[17]。コインは、マジェラスが見つけたもっとも深刻な問題は木の幹で見つかったオオシモフリエダシャクが二個体だけだったと述べた。また白い個体がコケが回復する前に増加したことにも注意した。コインは「これは明らかに進化の実例だが、しばらくの間、進行中の自然選択の好例としてはエダシャクは忘れなければならない。学校で教えるためのもっと適切な研究はたくさんある」と述べ、この生物の行動のさらなる研究が必要だったと結論した[25]

マジェラスは本の第二節のはじめで、ケトルウェルの最初の捕食論文以来、蓄積されるデータの価値は研究より得られる基本的な質的推論の価値を損なうものではないと強調した。また工業汚染による環境の影響が引き起こす差別的捕食の影響の違いは「オオシモフリエダシャクのメラニズム進化の主要な要素である」と強調した[23][26]。コインが木の幹の上で見つかったオオシモフリエダシャクが2匹だけだったと述べたとき、彼は誤りを犯していた。本は47匹のうち、12匹が幹の上におり(6匹はむき出しで、6匹は隠れて)、20匹は枝の付け根に、15匹は枝に止まっていたと記していた[23]。マジェラスはコインのレビューが本の実際の内容、あるいは彼の見解を反映しておらず、レビューと本の間に基本的に対応関係がないことに気づいた[27]。そしてマジェラスの本よりもむしろサージェントらの論文の要約のようだという昆虫学者ドナルド・フラックの評価に言及した[28][29]

コインのレビューはのちにジャーナリストのロバート・マシューズによって取り上げられた。マシューズは1999年3月にサンデーテレグラフに記事を書き、「進化の専門家が、彼らがもっとも大事にしてきたダーウィン理論の例、オオシモフリエダシャクの興隆が、一連の科学的な誤りに基づいていたと認めた。自然選択の事実を証明すると長く信じられてきた50年代の蛾を使った実験は、今や価値が無く、”正しい”答えを出すようデザインされていたと考えられている」と主張した。マジェラスはこの見解を驚くべきものと考えた。この分野に関わる人々はそのような見解を共有していない。マシューズは科学的な誤り、誤引用、不正確な表現を記事の中で繰り返したが、これが一般的に考えられていることだと報じた[28]。マジェラスはマシューズと30分以上はなしをし、マシューズが本を読んでいなかったため詳細について多くを説明しなければならなかったが「それでもなお、彼はほとんど間違って理解した」と述べた[27]

この話は創造論者によってとりあげられた。1999年3月、インテリジェントデザインの指導者フィリップ・E・ジョンソンが「くさび戦略」を提案したセミナーにおいて、蛾は「木の幹に止まっていなかった」、写真を撮るために「幹に接着されなければならなかった」、したがって実験は「インチキ」で「詐欺」だと主張した[30]。これはフラックに、インテリジェントデザイン支持者ジョナサン・ウェルズと意見交換させることになった。ウェルズはマジェラスが(47匹のうち)6匹がむき出しの木の幹に止まったと記録していることを認めたが、「取るに足りない割合だ」と主張した[31]

ウェルズはこの問題について「C.A.クラークと同僚は25年間のフィールドワークで木の幹に止まっているオオシモフリエダシャクを発見したのはたった一匹だけだった」と書き、「オオシモフリエダシャクが通常木の幹に止まらないという事実はケトルウェルの実験を反証する」と結論した。このエッセイの短縮版はThe Scientistに掲載された[32]。2000年にウェルズは『進化のイコン』を書いた。そこで「教科書が説明しないのは、1980年代以来、生物学者はこの古典的な物語には深刻な欠陥があると気づいていたということだ。もっとも深刻なのは自然のオオシモフリエダシャクは木の幹に止まることすらないということだ。教科書の写真は結局のところ、演出されていた」と述べた[33]。ウェルズの主張はマジェラス、クック、そしてオオシモフリエダシャクの研究者ブルース・グラントによって退けられた。彼らはウェルズが不誠実なやり方で引用を寄せ集めにするか、選択的に省略するかで、全体像をゆがめて伝えたと指摘した[23]

2000年11月にカンザス州プラット郡の教育委員会は、特定の情報を使うことでインテリジェントデザイン教育を支持しようとする試みを続けていた[34] 。この中にはジェリー・コインのレビューも含まれていた。しかしコインは創造論者による誤用を強く批判する再レビューをかき、オオシモフリエダシャクの例は自然選択による進化の確かな例であることを強調し、さらなる研究の要求は、単に鳥の捕食が選択圧となっているかどうかの不確実性を解決するためだと述べた。ブルース・グラントも、ウェルズの不正確な表現に基づいた詐欺の告発に異議を唱える記事を書いた[35]

2002年にはジュディス・フーパーのOf moths and Manも、科学的不正だとする告発の合唱に加わった。フーパーは「ケトルウェルは、仮説を支持するようデータを改ざんした」と非難した。この本はコイン、クラーク、グラントをはじめとする、科学界からの強い批判で迎えられた[36][37]。マジェラスはこの本を「エラー、不正な表現、誤解、嘘だらけ」と表現した[28]

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 岩波 生物学辞典 第4版
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]