山口県体育館

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山口県体育館
施設情報
用途 スポーツイベント
コンサート
収容人数 5600人
スタンド椅子席:1600人
スタンド立見席:1000人
競技場補助椅子:3000人
設計者 日建設計工務
施工 鴻池組(建築主体工事)
中国電気工事山口支店(電気設備工事)
岩国桐田商会(給排水衛生工事)
山口瓦斯(ガス設備工事)
事業主体 山口県
管理運営 山口県教育委員会[1]
構造形式 鉄筋コンクリート、鉄骨ダイヤモンドトラス構造
建築面積 3,155.58 m2
延床面積 4,287.99 m2
階数 3階建
高さ 18.15m
着工 1959年(昭和34年)12月
竣工 1960年(昭和36年)7月31日
総工費 約1億2000万円
所在地 753-0075
山口県山口市中園町7
位置 北緯34度10分09秒 東経131度28分00秒 / 北緯34.16917度 東経131.46667度 / 34.16917; 131.46667 (山口県体育館)座標: 北緯34度10分09秒 東経131度28分00秒 / 北緯34.16917度 東経131.46667度 / 34.16917; 131.46667 (山口県体育館)
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山口県体育館(やまぐちけんたいいくかん、「山口県立体育館」とも)は、山口県山口市中園町の現・山口市中央公園のある場所に1960年から1992年まであった県立の体育館

概要[編集]

1950年代当時、山口市は学都、県都、あるいは文化都市と言われながら、大人数を収容することができる建物がなく、関係者並びに一般市民からも、そうした施設の建設が求められていた。全国的なイベントはもとより、全県的な大きな集会などを開催することができないために、市にとっても不利な面が少なくなかった[2]

このような要望にこたえるため、1959年昭和34年)に県が市内の清水町にある中央公園の一角(現在の中園町7番1号)に着工した[2]

総工費約1億2000万円を要し、翌年の1960年(昭和35年)7月31日竣工。8月にこけら落としで全国高校体操選手権大会が開催された[3]

1963年(昭和38年)に開催された第18回国民体育大会を機として全国的、全県的な各種の室内競技大会の開催をするなど市内のスポーツ向上にも大きな役割を果たした。ほかにも物産展をはじめ、国内外のコンサートの開催など、さまざまイベントや成人の日には成人式も行なわれていた[2]

1992年平成4年)、中園町地区の再開発に伴い、隣接していた山口市民球場山口中央高校共々閉鎖・解体[4]。県立体育館の機能は維新百年記念公園内のアリーナに移され、跡地には山口情報芸術センター及びNHK山口放送局が建った[5]

概要[編集]

  • 主競技場 桜フローリング張り 44mX36.5m=1606㎡
  • バスケットボール 2面
  • ハンドボール 1面
  • バレーボール 2面
  • バドミントン 8面
  • 庭球 2面
  • 卓球 14台
  • 体操一式
  • ボクシング一式  

利用状況[編集]

  • 年間使用日数:約200日
  • 使用比率:競技会関連74%、イベント関連26%
    • 競技の種目別の使用は卓球が年間15日で一番多く、次いでバドミントン、バレーボール、体操等の大会が多かった[6]

主な大会・イベント[編集]

競技[編集]

  • 1960年(昭和35年)8月 - 全国高校体操選手権大会
  • 1963年(昭和38年)10月 - 第18回国民体育大会の体操競技が開催
  • 1969年(昭和44年)11月 - 全日本体操選手権大会
  • 1978年(昭和53年)3月 - バスケット日米高校定期戦第7戦  

コンサート[編集]

イベント[編集]

  • 1962年(昭和37年) - 日本総合自動車ショー[7]

関連施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 山口県教育委員会保健体育課「山口県体育館 使用の手びき」、山口県文書館所蔵
  2. ^ a b c 山口市史編集委員会『山口市史 各説編』1971年3月、pp.401-402
  3. ^ 山口県教育会『山口県百科事典』1982年4月、p794
  4. ^ 山口県中学校体育連盟「山口県中学校体育連盟創立50周年記念誌」1998年4月21日、p238
  5. ^ D&DEPARTMENT PROJECT『d design travel YAMAGUCHI』2013年2月1日、p24
  6. ^ 山口市体育協会『山口スポーツ100年の歩み』1970年12月、p133
  7. ^ 山田恭幹『写真アルバム 山口・防府の昭和』2014年8月、p141