対偶 (論理学)

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命題「AならばB」の対偶は「BでないならAでない」である。 論理記号を用いて説明すると、命題「AB」の対偶は「¬B⇒ ¬A」(¬A は命題 A否定)である。

通常の数学では、命題「AならばB」の真偽とその対偶「BでないならAでない」の真偽とは必ず一致する(すなわち真理値が等しい)。

数学では、元の命題「AならばB」の証明が難しくても、その対偶「BでないならAでない」の証明は比較的易しい場合がある。「AならばB」と「BでないならAでない」との真偽は一致するので、このようなときには対偶「BでないならAでない」のほうを証明すれば「AならばB」を証明できる(対偶論法)。

目次

関連概念 [編集]

命題「AならばB」に対し、

  • 対偶:「BでないならAでない」
  • :「BならばA」
  • :「AでないならBでない」

がある。

対偶の場合とは異なり、元の命題「AならばB」が正しくともは必ずしも正しいとは限らない(逆は必ずしも真ならず)。 しかし逆命題「BならばA」の対偶は、「AならばB」の裏「AでないならBでない」と一致するので、逆「BならばA」と裏「AでないならBでない」の真偽は必ず一致する。

自然言語(とくに日常語や文学・比喩表現)では、論理学における論理的関係が常にそのまま適用できるとは限らず、命題と対偶命題が異なる真理値を持つように見えることがある。

よく知られた例では「親が叱らないと子どもは勉強しない」(文1)といったものがある。これは「子どもは勉強を怠りがちなものであり、親が「勉強しろ」と叱らなければ子どもは勉強をはじめない」と一般的に理解される文章である。しかし文字通りに文1の対偶を取ると「子どもが勉強すると親が叱る」(文2)となる。これは普通「子どもが勉強すると(子どもが勉強したことに対し)そうしないよう親が叱る」と解釈される文章であり、文1とは指示する状況が全く異なる。

これは、文1と文2が単なる因果関係だけではなく時間的な順序関係をも含意しているためであり、日本語統語の特性によるものである。文1に対して「子どもが勉強しているなら親は叱った」(文3)をとれば、文3は(日本語としてやや不自然ではあっても)文1と同じ真理値を持っており、文1の対偶命題の日本語表現として適切であるということができる。

直観主義論理における扱い [編集]

上述の対偶の性質は古典論理におけるそれであり、非古典論理においては成立しない場合がある。例えば直観主義論理においては、必ずしも「AならばB」とその対偶「BでないならAでない」の真偽は一致しない。

直観主義論理の特徴として、排中律の不成立(あるいは二重否定の除去の制限)があげられるが、対偶の性質はこの制限の影響を受け成立しない。なお「AならばB」から「BでないならAでない」は、直観主義論理においても導出可能である。

脚注 [編集]


関連項目 [編集]