宮本延人

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宮本 延人
(みやもと のぶひと)
前列左端が宮本延人。台湾蘭嶼の警察署前にて。前列中央の着物姿は移川子之蔵、中列右よりタオ族の少年、馬淵東一鹿野忠雄。1929年。
人物情報
生誕 1901年2月8日
日本の旗 日本
長野県上田市
死没 (1988-07-12) 1988年7月12日(87歳没)
出身校 慶應義塾大学
学問
研究分野 民俗学
研究機関 台北帝国大学
京城帝国大学
台湾大学
東海大学
指導教員 移川子之蔵
称号 東海大学名誉教授(1975年)
主要な作品 『台湾の民族と文化』
学会 東南アジア考古学会
日本民族学会
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宮本 延人(みやもと のぶひと、1901年2月8日[1] - 1988年7月12日[2])は、日本の民俗学者

経歴[編集]

1901年、長野県上田市に生まれる。9歳の時に家族とともに東京に移り住んだ。1928年に慶應義塾大学文学部史学科卒業後、台湾に渡り、台北帝国大学で民俗学の講師をしながら台湾原住民の研究を行い、現在の台湾原住民に関する学問的基礎を築いた。1943年、京城帝国大学に転任し、人文科学研究所の助教授に就任した。

戦後は中華民国政府に請われて台湾に残り、台湾大学の教授を務めた。1948年に日本に帰国。その後は東海大学教授として文学部長など要職を歴任した。1972年に退官し、1975年に名誉教授となった。1988年に死去した。

著作[編集]

  • 『台湾高砂族系統所属の研究』移川子之蔵・宮本延人・馬淵東一共著、台北帝国大学、1935年。
  • 『人類と文化』東京教学社、1964年。
  • バリ島の研究 第二次東南アジア稲作民族文化総合調査報告』東海大学出版会、1968年。
  • 『人類の歩み』東海大学出版会、1971年。
  • 『台湾の民族と文化』六興出版、1987年。
  • 『日本統治時代台湾における寺廟整理問題』台湾事情勉強会・榕樹之会編、天理教道友社、1988年。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『産経日本紳士年鑑 第9版 下』(産経新聞年鑑局、1970年)ま行173頁
  2. ^ 『南島史学』第41号(南島史学会、1993年5月)p.91

参照[編集]

  • 「現代物故者事典 1983∼1987」日外アソシエーツ 1988