大石定久

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大石 定久(おおいし さだひさ、? - ?)は、戦国時代武蔵国武将山内上杉氏、のち後北条氏の家臣。滝山城城主。武蔵国守護代。通称、源左衛門尉。別名、大石綱周(つなちか)[1]

大石定重の子。弟に憲重、定基、信吉、照仲、定顕、子に大石定仲、養子に北条氏照大石定勝がいる。

経歴[編集]

大石氏は代々関東管領上杉氏重臣として武蔵守護代を任されていた。

定久も父の後を継いでいたが、天文15年(1546年)に上杉氏が北条氏康河越夜戦で大敗し没落すると、主君の上杉憲政を見限って後北条氏に臣従する。永禄2年(1559年)、氏康の三男・氏照を娘・比佐の婿養子として迎え入れて滝山城と武蔵守護代の座を譲り、入道して心月斎道俊と号し多摩郡五日市の戸倉城隠居した。

隠居後も快く従属したわけではなく、上杉謙信や隣接する青梅の勝沼城一帯を領する三田綱秀らと誼を通じていたという。謙信との軍事と外交は養子の氏照が重要な働きをする。程なく、三田領は氏照によって併呑されることになる。

脚注[編集]

  1. ^ こちらより。北条氏に仕えた際に「綱」の字を与えられたとする。但し、当時の当主は北条氏康であり、氏康から父・氏綱の1字を下賜されたということになる。