和泉守兼定

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[編集] 二代和泉守兼定

二代目和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ、生没年不詳)は、室町時代に美濃国で活動した刀工・宗教活動家。永正元年(1504年)に法華経第二十五普門品(観音経)を出版(この経文は後にアーネスト・サトウが入手し、現在は大英博物館の図書部門所蔵)。初代兼定の子。大業物にランクされている。 関七流中の奈良太郎系に属し、その作刀期間は明応2年(1493年)から大永6年(1526年)頃までと推定されている。 二代兼定は、永正8年(1511年)、和泉守を受領している。受領の背景には伊勢の神宮における派閥争いにおいて刀剣を鍛え供したことの恩賞と考えられている。現地(山田)にて鍛えた旨が刻銘された遺作が現存する。伊勢で駐槌したことから村正との交流もあり、合作の刀も遺されている。二代兼定は「定」の字をウ冠の下に「之」を書く独特の字体で切ることが多いことから、刀剣界では二代兼定を「之定」(ノサダ)と呼び習わされている。これに対して3代目兼定は銘の「定」字を「疋」と切ることから「疋定」(ひきさだ)と呼ばれ区別されている。


[編集] 作風

以下は本阿弥光孫の個人研究である。美術倶楽部発行『日本刀の掟と特徴』本阿弥光孫より。 

  • 刀・脇差

姿・造り込み:寸詰まり、鎬高く、棟の重ねが薄いものが多い。寸法の長いものも寸詰まりに見えるのが特徴。万人に好かれる気の利いた姿。刀は二尺前後のものが多いが、脇差兼用で造ったのであろう。樋のあるものは少なく、彫刻は稀に見る。帽子は、乱れ込み、地蔵、小丸などがあって、返りが深い。

刃紋:焼き幅に広狭あって覇気がある。直江志津一門と見える相州伝の大乱れ沸崩れのものがあり、よく働く。また備前一文字と見える大丁子乱れのものを焼いて刃中よく働くものもあるが、いずれも尖り刃、または矢筈乱れなどが交ざる。その他、大湾れ、互の目丁子、矢筈乱れ、広直刃、箱乱れなどがある。

地鉄:普通の美濃物より地鉄よく練れて細かく、別質の鋼を使用したと云う。杢目肌に柾目が交じり、殊に鎬地には柾目肌が激しく現れる。

中心:二字または長銘もあって、年号が入るものもある。所持銘、注文銘の入るものもある。

  • 短刀

姿・造り込み:平造り、筍反り、やや寸詰まって重ね普通。行の棟が多い。

刃紋:焼き幅狭く、沸本位だが沸少なく、細直刃、中直刃を焼く。刃紋のどこかに小豆粒ほどの乱れが入る。

帽子:小丸で返り刃方に寄り、小模様に乱れる。

地鉄:肌細かく、小杢目に柾心があり、棟方に柾目現れる。

中心:形正しく長銘が多い。

来国俊の短刀に似るものを見る。

[編集] 文化的評価

  • 虎徹の刀が50両だった時代にノサダは1000両の値が付けられたことから千両兼定と呼ばれたという説があるが、かかる事実を裏付ける史料はない。江戸時代には演技が上手く人気のある役者を「千両役者」と呼び、ひいては役者以外の世界でも一芸に秀でた人物や何をやっても上手な人は「千両役者」と呼ばれた。そこから鍛冶業以外の活動にも精力的だったノサダが「千両兼定」と呼ばれたのであろう。
  • 幕末に源清麿の刀を改竄しノサダの偽銘を施したものがある(現在は無銘で清麿と鑑定)。今日清麿の作品は高額で取引されているが、当時は廉価で、武器構における注文料は3両でしかなかった。江戸時代には古い刀が珍重されており、古ければノサダでなくても誰の銘でも良かったのだろうが、ノサダと清麿の作風にはどこか似通った所があり、両者の付会はある意味で当を得ている。
  • ノサダの作品は数多く現存しているが、国宝・重要文化財の指定を受けているものは一振りもない。唯一「武田左京大夫信虎所持」と銘のある作品が旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に基づき重要美術品に認定されている。
  • 細川忠興が家臣36人を殺害するのに使った刀がノサダだった。忠興は殺害した36人即ち「三十六家臣」を「三十六歌仙」の語呂にこじ付け、倒錯的な感覚でこの刀を「歌仙」と呼んだが、現在では刀ではなくその拵の方だけが雅に「歌仙拵」と呼ばれ、伝わっている。
  • ノサダの作品は文化財・美術品としては古来必ずしも最上の評価を受けているとは言えないが、いつの時代にも熱烈な愛好者がいる。様々な作風を遺しながらそれら全てにノサダその人の個性が表れていること、しかしその個性は決して過ぎたものではなく極めて抑制されていること、等から、「武士の魂」という日本独特の文化的表現に当て嵌まる床しさがあるというのである。日本刀は武器か美術品かという定義以前に、日本の文化・歴史において刀が人々にどのように受け容れられて来たかを考える上で、人として、作品として、今日ノサダの評価は文化論の領域に入っている。

[編集] エピソード

  • 永正元年(1504年)に法華経第二十五普門品(観音経)を出版。鍛冶業以外に宗教活動も行っていた。この経文は後にアーネスト・サトウが入手し、現在は大英博物館の図書部門に所蔵されている。
  • 森長可は愛用のノサダの十文字大槍に「人間無骨」と彫りを入れていた。
  • 伊藤博文がノサダの脇差を仕込み杖として使用。満州のハルピン駅で暗殺された際にもこの仕込み杖を携帯していた。

[編集] ノサダを所持した有名人

注:土方歳三の愛刀「兼定」はノサダではなく、幕末の11代兼定の作品である。

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