付喪神

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室町時代の『百鬼夜行絵巻』(作者不詳)。草履黒布の付喪神が描かれている。

付喪神(つくもがみ)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、長く生きた依り代道具生き物自然の物)に、霊魂などが宿ったものの総称。

概要[編集]

「付喪」は「九十九」のことである。この九十九は「長い時間(九十九年)や経験」「多種多様な万物(九十九種類)」などを象徴し、また九十九髪と表記される場合もあるが、「」は「白髪」に通じ、同様に長い時間経過や経験を意味し、「多種多様な万物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)」のような意味を表すとされる。

歴史[編集]

  • 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃-1333年) - 『土蜘蛛草子』には、付喪神の原型ともいえる描写があり、や狐の姿をした女性や妖怪としてのが描かれ、五徳と牛が合体したものや、に蛇の体と人の腕が2本くっついたものや、角盥(つのだらい)の縁に歯が生えそのまま顔になっている人形(ひとがた)が描かれている。『不動利益縁起絵巻』にも安倍晴明とその使役される式神が5体描かれていて、鶏や角盥や五徳を擬人化したものである。
  • 室町時代(むろまちじだい、1336年 - 1573年) - この時代に単なる妖怪ではなく、その由来や設定がなされ付喪神と命名され、『付喪神記』の冒頭に「陰陽雑記に云ふ。 器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」とある。絵画や絵巻では『鼠草紙』・『十二類合戦』とよばれる生き物を模した物や、『化物草子』では、案山子柄杓の付喪神が描かれている。室町時代に軽工業の発達から生活道具が大量に出回り、などから、が、安易に消費されるようになり、これらも付喪神として描かれている。土佐光信筆と伝えられている京都真珠庵蔵の『百鬼夜行図』は、これまで描かれた文字通りが主流であった百鬼夜行とは違い、付喪神を中心に描かれ、付喪神の黄金期であったことがうかがえる。
  • 江戸時代以降 - もっぱら妖怪として描かれ、その造形は江戸時代以前からあった自然の具現化と付喪神などの生活必需品(家畜などを含め)を踏襲したものであるが、付喪神における歳を経たものという特筆が見られる場合が少なくなっている。これは、太平の庶民文化の隆盛から、口碑伝承のないこの時代の作家に創作された妖怪の類の氾濫と、杉浦日向子などの江戸時代研究家や学者が説明する「江戸時代は世界に類を見ない資源還元(リサイクル)社会であった」という事実と合致する。棒手振り(棒手売)が幕府による経済振興弱者救済として奨励され、古物修理回収が盛んになり、物の消費に一定の罪悪感が無くなったことや、などの食料資源の徹底した活用や、それによって生ずる人糞までも肥料化による利用と売買など、消費が振興となったことが大きいといえる。

関連項目[編集]