ラミー (企業)
| 種類 | GmbH |
|---|---|
| 略称 | Lamy, ラミー |
| 本社所在地 | 〒69123 Grenzhöfer Weg 32, Heidelberg |
| 設立 | 1930年 |
| 業種 | その他製品 |
| 事業内容 | 筆記具 |
| 代表者 | Bernhard M. Rösner (CEO) |
| 売上高 | 50百万ユーロ |
| 関係する人物 | C. Josef Lamy |
| 外部リンク | http://www.lamy.com |
ラミー(Lamy)はドイツのハイデルベルクに本社を構える筆記具メーカー。製品のブランド名は「LAMY」。現在の社長は、創業者カール・ヨセフ・ラミー(C. Josef Lamy)の息子であるマンフレッド・ラミー(Manfred Lamy)。
目次 |
[編集] 歴史
1930年、パーカー社の営業担当をしていたC.J.ラミーが、Orthos社を買収して、ドイツのハイデルベルクにラミー社を設立。
1952年、ラミー製品の販売を開始。この当時は、パーカー製品の影響を色濃く残していた。
1962年、創業者C.J.ラミーの息子であるマンフレッド・ラミーが、2代目社長としてラミー社に入る。新社長は、同業他社との差別化をはかり、「機能によってかたち作られるデザイン」という"バウハウス"のコンセプトを掲げ、革新的な筆記具メーカーとしての道を歩みだした。
1966年、LAMY 2000シリーズの販売を開始。同製品は、「西暦2000年になっても通用するデザイン」をコンセプトにして、ゲルト・アルフレッド・ミュラー[1]によってデザインされた。40年以上の時を超えた現代(2008年)においても、そのままのデザインで販売されている。
[編集] 特徴
デザイナーの豊かな創造性の実現を重視する製品づくりを進める。ラミー社の有する製作技術が、これを可能にしている。例えば、LAMY 2000シリーズは、ボディのつなぎ目が一見してわからないほど、表面加工の工作精度が優れており、デザイナーの細部にまで及ぶ美意識を満足させている。 ラミー社は、技術力の維持・強化のために、ドイツ国内における自社生産にこだわっている。部品の製造の大部分と、すべての製品の組み立てを、社外に委託せずにハイデルベルク市内の自社工場で行う。途上国の安い労働力を使うことが不可能になるが、そこは徹底した生産ラインのオートメーション化で補っている。
[編集] 主な製品
万年筆・ローラーボール・シャープペンシル・ボールペンが揃っているシリーズ
- LAMY 2000 (ラミー 2000) - ロングセラーのフラッグシップモデル。
- LAMY studio (ラミー ステュデイオ) - プロペラのような形をしたクリップが、デザインのアクセントになっている。
- LAMY safari (ラミー サファリ) - 多色展開のカラフルなペン軸が特徴。スケルトンタイプもある。このシリーズの万年筆は、ドイツ本国の学生に高く支持されており、ラミーの主力製品という位置づけである。
- LAMY AL-star (ラミー アルスター) - "safari"の上位モデル。safariよりもやや太くて重いペン軸を持つ。
その他のシリーズ
- LAMY scribble (ラミー スクリブル) - ペン軸が太くて短い。きままに走り書きするための筆記具というコンセプト。デッサンの邪魔にならないように、クリップの取り外しが簡単にできる。油性ボールペン、シャープペンシル(0.7mm)、芯ホルダー(3.15mm)が揃っている。
- LAMY pico (ラミー ピコ) - コンパクトなボールペン。ギミックでペン軸が伸び縮みする。
- LAMY spirit (ラミー スピリット)- 1枚のステンレス板を折りたたんで形成するという独創的な加工法によって製造される、マニアックなボールペン。薄い手帳と併せて使うというコンセプトで、ペン軸が細長いシャープなデザイン。
- LAMY noto (ラミー ノト) - シンプルな流線形デザインのボールペンで、遠目にはありふれたデザインだが、ペン軸が三角断面形状になっている。深沢直人によるデザイン。
- LAMY SWIFT(ラミー スイフト)-映画マトリックス・リローデッドに登場した、ローラーボールの水性ボールペン。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
[編集] 参考文献
- 「ラミーのすべて」製作プロジェクト編 『ラミーのすべて デザインプロダクトとしての筆記具』 ISBN 4-86212-026-1 (株)ロコモーションパブリッシング 2005年
- 石川光則「ラミーにくびったけ!」(『机上空間』エイムック979;pp.8-19) ISBN 4-7779-0265-X 枻出版社 2005年